「できない」が「できる」ようになったのは自分か機能か?
以前のAIのバージョンでできなかったことが、新しいバージョンでできるようになると、
「スゲェ!」
となって、「こんなことができるようになった!」とついつい思うのだけど、
それは、AIの機能がすごくなっただけで、
特に自分がすごくなったわけではない(苦笑)。
果たして、自分にとっての『「できない」が「できるようになる」』は何なのか?
の定義は自分で持っておくことと、
それは社会の誰に役立ったり、評価されるのか?は、分かっておいた方がいいと思うわけで、
そう考えると、私の場合は、「できる」は、ほぼないことに気づかされる(苦笑)。
トスボイスタジオは、人がやりたい何かに対して「できない」が「できる」場にしたいと思うのでした(苦笑)。