意味のなさそうな何かを掘り続けている姿にその人の美しさがある
人から「深い」と言われることもあるし、
別の人からは「よく考えろ」と言われることもあって、
どこまで掘ったら「深い」と言えるんでしょうかね。
私より、さらにもう一堀りした人から見たらは、私はまだ「浅い」となるし、
私より考えていない人からは、私は「深い」となる。
実は、自分が掘りたくて掘っていることは、人がどう見ようと、どっちでもいいと言えばどっちでもいいわけで、勝手に掘ってればいいのだと思います。
それについてはもう「分かった」と自覚したことは、裏を返せば、もうそれ以上の探求はしないのだから、
そうなった瞬間から、掘り続けている誰かからは「浅い」となります。
興味があることや、掘りたいことがあるなら、掘り続ければいいし、それがあるのは深くなり続けるわけで、
それは、きっと、幸せなんだろうな、と思うわけで、
恐らくは最終地点などないのだろうけど、掘り続けることそのものに意味があり、
私は、そういう、そんなにしてまで、何の意味があるの?と聞きたくなるようなことを、
愚直に掘り続けている人を見ると、そこにその人の哲学や美学や勝手というものを感じて、とても美しいと感じてしまって、
意味がないことに意味があるのだろうな、と教えられることがあります。