「人は偏見で生きている」という偏見を越えられるか(笑)
「色メガネで見るな。」とか「固定概念で決めるな。」と、言われることはあると思うのだけど、
それは、いわゆる「偏見」で物事を見るな、ということなんだろうな、と一応は肯定的に理解しようとは思うものの、
私は、そもそも「人は『偏見』でしか生きていない」という「偏見」を持っているので(笑)、
「するな」と言われても、できないので、「できません。」と言うと、
今度は、「君は素直じゃない。」とか「お前は面倒くさい。」という話になることも経験済みで(笑)、
面倒くさいから、「分かりました。ありがとうございます。」で済ました方がいいんだろうな、と思って、そう言ってやり過ごそうとすると、
「分かったなら、じゃあ、こうしなさい。」と言ってくるパターンもあるので(笑)、
そうなると、この人の場合、どう対応したらいいんだろうな、と無意識に考えながら接するという、色メガネをかけているとも言えて、
もうどうしようもありません(笑)。
頼んでもいないのに、「君はこうすべきだ。」と言う人は、自分の思い通りに他人が動いてくれることでしか自己承認が得られない人だという「偏見」を私は持っていますが(笑)、
もう片方で、恐らく、今までの自分の基準とは違う視点や考え方を持った方が人生がより良くなるよ、ということを、私のことを思って言ってくれてるんだろうな、と肯定的に捉えるように努力はするし(笑)、
確かに違う視点で物事を見て、同じものでもまるで景色が変わって、人生が変わるということも経験したつもりでいるので、とても大事だと思いますが、
でも、それは、やってみるとしたら、いつもの自分とは違う色メガネをかけるということでもあり、
はたから見たら、「あの人、変なメガネかけてるね。変わったね。変な宗教入ったね。」と言われるリスクは飲まねばならないとも思っています(笑)。
だから、要するに、
「聞かれるまで喋るな。」
となってしまうのだと思います。