60年の周期パターンから見えてきた、私がダメな理由とネバーエンディングストーリー(苦笑)

①「先生、『やる気』はあるんです。ただ、その『やり方』を、聞いたり、覚えたり、動いたり、それがしたくないだけなんです。」

②「それはね、それを『やる気』がないっていうのよ。」

③「え~、おかしいなぁ・・・。

じゃあ、先生、『やる気』はあるけど、『バカ』なだけ、っていうのは、アリなんですか?」

④「自分の事を『バカ』と言える人は『バカ』じゃないのね。本当の『バカ』は自分が『バカ』だということすら気づけないの。

『バカ』を理由にやらないというのは、結局『やる気』がない、っていうことになるわね。」

⑤「うーん、じゃあ、僕は『天才』だから、やらない、って言えば、『バカ』に気づいてないっていうことになるから、だったらアリなの?」

⑥「天才なら、何もしなくて、そのまま生きてけばいいんじゃないの?」

⑦「でも、このままじゃいけないのは分かってるから、何とかしなきゃいけないと思って、『やり方』を勉強しなきゃと本気で思ってるんです。」

⑧「じゃあ、まずは、この『やり方』でやってみたらいいんじゃない?。」

⑨「でも、その『やり方』で、聞いたり、覚えたり、動いたりするのが面倒くさいんです。」

➉「ねぇ、あなた、そもそも『やる気』あるの?」

①に戻る(笑)。

ずっとやり続ける(笑)。

60年生きてきて、私の人生の大まかな流れと周期は、大体こんな感じだと分かってきた(笑)。

「やる気」の問題なのか、「やり方」の指導の問題なのか、もともとの「個体」の問題なのか、

その真実と、教育の本質は、本当はどこにあるんだろう(苦笑)。

残りの人生を賭けて探求していく(笑)。

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