AI時代に、「AI」と「感情」の相関関係に見悶える(苦笑)

「AIで作った文章は、やっぱりAIで、何か味気ないから、そこに、自分の感情とか、思想とか、想いを入れないと、その人の発信にならない。」

という類のことをはよく聞こえてきて、

「なるほど、そういうもんなんだなぁ。」

とは思うものの、

私は、私の感情や思想や想いなどというものを、聞きたいと言ってくれる人を知らない(苦笑)ので、

私がそういうのをブチ込んでみたところで価値が上がるとは思えなくて、

いや、むしろ、余計に嫌われて、人が離れていく一方なのではないか?と疑念が沸いて辛いです(笑)。

興味がある人や、何かを成しえた人ならまだしも、

興味がない人や、何者でもない人の情報発信は、そもそも見てもいないわけで、

そこに、いらん感情や思想や想いなど入れられたところで、見ないものは見ない(苦笑)。

他人のいらん感情など、煎じ詰めれば「愚痴」か「自慢話」に集約されるので、

聞いている時間は、共感を依存されることによって、自分の感情を奪われるのだから、しんどいのが当然で、

あるいは、凡人の本人だけが言いたい思想など、飲み会の聞きたくもない相手の自慢話や説教程度に屁の虫ほどの価値もなく、

聞かれているならまだしも、聞いてもいないそんなもんを情報の中にブチ込まれたら、

そもそも見ないものを、もっと見なくなる、いや、近寄りたくなくなるリスクが高くねーか?と思ってしまうわけです(苦笑)。

だとすると、圧倒的実績を持っているか、他人から興味を持たれるだけの何かが必要となるわけで、

それは、AI時代だろうとなかろうと、昔からの本質論と変わらねーじゃんとなって、

また振り出しに戻って、じゃあ、どうしたらいいんだよ、と見悶えているところです(苦笑)。

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