「選択肢」の前提は「領域」にある
「選択肢は多い方がいい」
とは思っているのだけど、
「ある領域において」
というのは必ず前提になる。
ブレストのような場では、できるだけ「領域を外す」という領域になるし、
月次営業会議のような場では、「1ヵ月以内に実現可能な範囲」での選択肢となる。
以前あった出来事をよく思い出すのですが、
「現状打破の為には、脳のリミッターを外して発想することが大事です!多くの斬新なアイデアが欲しいから、忌憚のない発言をお願いします。まずは、多くの選択肢が欲しいので、皆さん(6人くらい)一人づつ、ご意見をお願いします。」
と、クソ寝ぼけてる朝の会議の場で、議長が突然言う場があって、
(いきなり、なんか面倒くせぇなぁ・・・)
と思っていたら、
「それではまずツヴォイさんから」
と、案の定、私が一番最初に当てられて(笑)、
(こういう場面で何故かよく最初に当てられる(苦笑)。私が議長なら、絶対に私などに最初に当てない(笑)。)
何かをしたい議長の気持ちもよく分かるから、精一杯協力しようと、頭を切り替えて、
その場で瞬時にリミッターを外して、忌憚のない発言をでしたら、
(何を発言したかは忘れた(笑))
「それはダメですよ・・・・。」
と、即座に、議長が怪訝な顔して言うので、
私は、私なりに困ってしまって、
「あの~、すいません。「ダメ」ってことは、じゃあ、リミッターはあるし、忌憚はあるってことじゃないですかぁ。
っていうか、いきなり今日はリミッター外せ、などと急に言われて、
かつ、考える時間も与えられずに、最初に当てられて、それでも文句言わずに答えて、あなたの会議進行に協力したのに、
かつ、全員に聞くと言いながら、全員に聞く前に、私の最初の発言に「ダメ」って、それなら、
①先に「ダメ」な領域のフレームを設定してもらうか、
②私をモルモットに使って、何となく全体のフレームを雰囲気で作りたかったか、
③ホントは自分が思い通りにしたいことがあるのだけど、あたかも全員から意見を聞いたという事実を作りあげて、うまく持っていきたかっただけなのか、
④一度、こういう会議をやってみたい個人的願望を叶えたかったのか、
⑤それ以外に、別の意図があるのか、
もう面倒くさいから、先に言って下さい。その意向に沿って、メンバーとして全力を尽くして発言しますから。
というようなことを、私なりに打開しようとして言ったら、
(「だから、面倒くせぇんだよ、こういうのは」、とまでは言ってません(笑)。)
その議長は、黙ったまま、じっと私を見つめ続けるだけで、
参加者も黙る沈黙の時間が続いて、
(ちなみにメンバーは、私以外は、一人を除いて全員年上。この状況も苦手(苦笑)。)
そのうち、誰かの「まぁ、進めましょ」一言で、いつも通りの代わり映えのしない会議になっていくのだけど(笑)、
私は、単に議長の顔をつぶしただけのような、会議に水を差した犯罪者のような、言いようのない罪悪感にかられて(苦笑)、
反省とも、哀しみとも、何とも言えない気持ちに包まれるのでした(苦笑)。
「脳のリミッターを外せ」
というのは、よく聞くのですが、
①「『脳のリミッターを外せ』と言っている人のリミッターの範囲内」
という前提がある現実は外せないのだろうと思うし、
②「脳のリミッターを外す」会議や場を作る知識や経験や、基づく準備も含めた、主催者の能力の程度もあるだろうし、
③その会議の目的が、「そういう会議をやって経験してみる場」なのか「目標達成の方法を意思決定する場」なのか、そもそもの目的にもよるわけで、
あの時、私はどうするのが良かったのか・・・・
①「アヒャヒャヒャヒャ、やっぱりそうですよねぇ、アホ過ぎてすんまそん。ちょっと調子に乗り過ぎたんで、他の人の意見を聞いて勉強させていただきマンモス。」
とか言って、なんとなく丸めれば良かったのか、
でもそうすると、いつも通り程度の意見しか出ない、何の斬新なアイデアも出ないことになって、会議の目的は叶わなくて、結局今まで通りじゃんとなってしまうだろうし、
②「う~ん、なるほど、難しいですねぇ。」
とか何とか言って、何か考えるフリして、他の人が何か喋り出すのを待って、
そのままの流れに沿っていって、私もその範囲で何か適当に合わせていって、今日はいい会議だったと満足させてあげれるのがいいのか、
でもそうなるのが目に見えているから、一番最初に私を指名したんでしょ、とも思うし、
結果、いつも通り程度の意見しか出ない、何の斬新なアイデアも出ないことになって、会議の目的は叶わなくて、結局今まで通りじゃんとなってしまうだろうし、
(ここコピペ(笑))
「コミュニティの人間関係を良好に保つことと、成果状態」は必ずしも正比例しないわけで、
この問題について、私はいまだに解決ができていません。
昨今のビジネス環境において、「新しいアイデア」とか「発想力」とか「新たな価値」とか、
これほどまでによく言われている言葉に関わらず、
その具体的なアウトプットは、あまりにも個体によって圧倒差が出てしまって、
相当に限られた人しか市場価値は生まれません。
でも、人は自分の「アイデア」や「発想力」は、数値化できないが故に、
自分には何となくある、と思い込みたく、諦めたくないのではないか思うのです。
(少なくとも私は自分にはあると思い込みたい(笑)。)
この問題については、今のところ、
そうか、私がサルだから、サルが何匹集まってもサルはサル。そういうことか。
と纏めてしまって、逃げているのですが(笑)、
自分の中での納得たる解決ができていない故に、
事務所の壁面にかかった、
「レザージャケットという領域」の中の「バリエーションという選択肢」を見る度に、
当時の苦い感情と、解決しないであろう問題の納得へと想いを巡らせるのです(苦笑)。