最大の壁を越える「行動」はどこからやってくる?

何を隠そう、私は相当な面倒くさがり屋である。

当然、自慢できることではありませんが(苦笑)。

隠す必要のないくらい、知っている人は知っていますが(苦笑)。

 

できれば何もしたくない。

何しろ、何をやるにしても「面倒くさい」が先に立つ。

 

行動のスタートである、心の動きである「動機」が仮に生まれたとしても、

実際に「行動」するには、「行動」の要素である

①脳 ②神経 ③筋肉

の3つを自分の身体の中で動かさないといけないわけで、

何が面倒くさいかというと、この3つの連鎖を起こすことが、そもそも、人という生き物は「面倒くさい」のである。

 

ということは、日常のほとんどを面倒くさいと思いつつも、

それでも、「面倒くさい」という最強の壁を越えて、やっている何かというのは、

越えるだけの強烈な動機がある、ということになるわけで、

仕事であれ、遊びであれ、何であれ、実際にやっていることは、

強烈な「動機」が発生しているのだから、

それは、すなわち、どんなに「面倒くさい」を顕在的に自覚しているとしても、

余程やりたいことをやっているということになるのでしょう。

そうこうするうちに、最初は面倒くさくて苦痛だとしても、徐々に慣れてきて、いつの間にか、できるようになる、

「無意識・有能」という領域に行くわけで、一般にそれを、「できるようになる」とか「成長」とか「スキルアップ」とか「能力アップ」とか言うのでしょうね。

そう考えると、自分の能力は何か?自分は人より何ができるのか?を考えた時、

自分の実際の行動の履歴を客観視してみるというのは極めて有効な訳で、

自分の具体的行動をよくよく客観的に振り返ってみると、

何度も何度も画像のような、飽きもせず同じことをやっている自分がいるわけで、

そんな能力がアップしたとこで、どうしようもないじゃねーか、という現実を突きつけれられるだけだということがよく分かってしまうので、

全ての人におススメできるかどうかはあまりに自信はありません(苦笑)。

 

念のため言っておきますが、私は、こういう、たった一枚を撮るのに、異常なほどに何度もやり直していることは自分では分かるわけで(苦笑)、

そうすると、過去、一体どれだけの数えきれないこういう行動を起こしているかを考えると、

私はこういうことにしか「面倒くさい」を越える「動機」たる「快」がないんかい?(笑)

 

まぁ、「面倒さいなぁ」と思いつつも、こうして面倒な文字入力して、面倒なブログを書いているということは、

私は余程、ブログを書くのが好きと自覚した方がいいのかも知れません(笑)。

 

できるだけ全てのことが、ドストレートにこれくらいの「快」になる状態になるよう、少しは努力いたします(苦笑)。

ということを、間近に控えた、「オンラインサロン内」限定セミナーの、スライドを作ろうとして、

パワポを開ける段階が既に面倒くさくなる自分に叱咤するわけです(苦笑)。

 

「面倒くさい」と言いながらやっていることは、実は「面倒くさい」を越えている(笑)。
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