ツヴォイ式お絵描き056「アントニオ猪木」10
私の中での「猪木最後のジャーマン・スープレックス」は、
1981年8月6日・蔵前国技館での対「マスクド・スーパースター」戦のコレです。
「マスクド・スーパースター」は、1977年・新日本プロレス・第4回ワールドリーグに謎のマスクマンとして初来日し、
(素顔のボロ・モンゴルズとしては来日済)
圧倒的な強さを発揮して以来、新日プロ外人レスラーとして定着していて、
ラフ&パワー、テクニック&インサイドワーク、メインも取れるし、シングル良し、タッグ良し、とどこから切っても恐ろしくバランスの取れた、ある意味の最強レスラーという印象を私は持っていますが、
この試合の81年頃までには、猪木とのシングル戦は既に何度か行われており、
蔵前最終戦のメインイベントの試合としては、少々インパクトに欠ける相手であり、
いくら「賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチ」というイベント性を持たせたとて、ちょっと苦しいのではないか?と思っていました。
恐らくそういう印象を持っていた往年のファンは多かったのではないかと思います。
そんな中で行われたこの試合ですが、言ってみれば、この二人らしく、いつも通りのとても安定した好試合で、いつも通りに安定の猪木の勝利かと思っていた矢先、
最後に突然見せたのが、数年ぶりの猪木の「ジャーマン・スープレックス」で、私もあまりに久しぶりで唐突で、随分驚いた記憶があります。
見事にインパクトを残したと言える久しぶりの大技でした。
スーパースターの体が「くの字」に決まっていなくて、猪木のお腹の上にベタっと乗っかっている完璧じゃない絵面も新鮮ですごくいい(笑)。
言ってみれば、先にお金を払うビジネスモデルのプロレスは、試合が行われている時点では売上は確定しているわけで、猪木がそれなりの試合をすれば、それなりの満足はあったかと思いますが、
きっと、当日の観客は、このサプライズ一発だけで、「来て良かった」と思ったのではないか?と思い、
結果、また次の試合への期待や楽しみが膨らんでいったのだとも思います。
私のようなファン心理やプロレスというビジネスモデルを意図したかどうか分かりませんが、
こういうところに「アントニオ猪木」のセンスと凄みを感じます。
私事ですが、この10年、完全アウェイの場で講演やセミナーのお仕事が中心でした。
もしかしたらもう二度と会わない方々へ、最初の期待より、最後の満足のギャップをいかに創れるかは、生命線とも言えるわけで、
そういう時間をいかに創れるかは、講演前直前までいつもいつも考えいて(できたかどうか別として(苦笑))、
そういう価値観もまた、アントニオ猪木の姿から影響を受けたのではないかと思っています。
せめて近づけますように・・・・・。