ツヴォイ式お絵描き053「アントニオ猪木」07

タイトルマッチセレモニーの「国歌斉唱」時のアントニオ猪木の姿と表情が好きでした。

遠くをみつめているような、国旗をみつめるような、何かを誓うような、最後の精神統一しているような、

タイトルマッチを戦う前の、タイトルマッチが神聖で、日本代表としての自覚を噛みしめるような雰囲気でした。

昔・・・・、と言っても1981年頃までですが、「新日本プロレス」のリングでは、

タイトルマッチの前に、対戦両選手の国歌斉唱の儀式がありました。

イギリス紳士のイメージの「ビル・ロビンソン」は、イギリス国歌斉唱の後に敬礼したのも印象的だったし、

ブルファイトで大暴れする「スタン・ハンセン」は、アメリカ国家の時にはテンガロンハットを胸にあて、

あの「インドの狂える虎」の「タイガー・ジェット・シン」ですら、国歌斉唱のセレモニー(ちゃんと聞くときだけですが(笑))の時には、正面に立ち、目をつむって神妙な顔つきで聞き、勝利を誓って、お祈りを捧げるような仕草を魅せました。

幾多の強敵外人選手を迎え撃つ日本代表「アントニオ猪木」の姿がありました。

子供の頃、国歌などまるで興味などなかった私でも、猪木のタイトルマッチの「国歌斉唱」の情景から、

国歌というのは、国民一人一人の心に宿る神聖なものであり、静粛・厳粛・おごそか・権威・誓い・敬意・誇り・儀式・共有・コミュニティ・といった意味合いを、

猪木や彼らから、学校の授業や机上の教育よりも、自然と当たり前のこととして認識していくようになりました。

「対ロビンソン戦」など、放送時間内の試合内容を削ってでも、タイトルマッチセレモニーを放送した時にはイライラしたりもしましたが(笑)。

こうして「アントニオ猪木」の場面を一つ一つ思い出していく毎に、

昭和40年代に生きた男の子は、プロレスと猪木から、いかに多くの影響を受けてきたのかを思い知らされます。

猪木さん、ダメだ、俺、やっぱり悲しいよ・・・・・。

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