「成果が欲しい」のか「やりたいようにやりたい」のかは分かっておくべき
中小零細個人企業の経営者というのは、「やりたい」からやっている人が多い。
仮に、後継者で「やりたいわけじゃないけど後継者だからやっている」としても、
それは、後継者の選択を自分でした時点で、この場合「やりたい」に内包される。
本人どうあれ、他人や世間はそう見る。
どうしてもそれが納得いかないなら、とっととその立場を辞めて、別の「やりたい」ことをやればいいとなる。
私も家業の後継者を経験しているが、口では「どうしても自分がやりたいわけではない」と言うものの、
明らかに後継者という選択を自分でしていたという、自覚はあった。
その責任を負いたくなかっただけである。
問題は、『「やりたい」ことだけやっている』ことである。
よく聞く話で、経営は、
①「やりたいこと」
②「やるべきこと」
③「できること」
の3つのバランスというのがある。
私の知る限り、業績の目標が達成していかないほとんどの中小零細個人企業の経営者は、
②の「やるべきこと」
が圧倒的に足らない。
「何もしていない」というのは、知識と実践の2段階があって、
①そもそも知識を得る為の何かをしない(あるいは、できない)か、
②知ったところで「やりたい」ようにやりたいが優先されるのだから、実践しない。
そもそも「やるべき」ことを淡々と黙々と積み重ねているような人生であれば、
果たして中小零細個人企業の社長などやっているか?というと、結構怪しいのではないか?と私は思っている。
ところが、経営というのは、正攻法の論理だけで全てが決まるのか?というとそうではなく、
経営者本人のキャラクターや、営業力や現場力だったり、
周りの人との縁だったり、時代性や環境や運といったことまで、
それら全て含めて成果に繋がる要素も十分にあって、
だから、誰にでもチャンスがあるとも言えるし、勘違いするとも言える。
「やりたいことをやっている」のと、「やりたいことをやっているように見える」のは全く違う。
本当に自分の「やりたいことをやっているだけ」で経営ができるのであれば、
3歳児などは、誰もが立派な大企業の経営者になれる、となってしまうわけで(笑)、
ここに「やるべきこと」の重要性があると思えてならない。
(ちなみに、私は、よく、近しい周りの人から、
「お前は、やりたいことだけやっている。そんなんじゃダメだ。」
と周りの人から本気で批判されることがあって(苦笑)、そんなわけねーだろ、と思うことはあるが、
面倒くさいから言わないし、本当のところは自分でも分からないから言わない(笑)。)
そうなると「やるべきこと」とは何か?になる。
経営における「やるべきこと」は多岐に及ぶ。
あるいは、人によって言うことが違う。
よく「人の言うことを聞け」という人がいるが、
それは、「人」ではなく、「『自分』の言うことを聞け」と、言っている本人が言っている場合が結構多い。
人の言うことは聞くべきと思うが、そんなこと言ったら、
どんなアホでマヌケで、何の実績もない者の言うことも聞かなくてはいけなくなるわけだから、
「人の言うことを聞け」と言っている、その人の言うことを聞くべきかどうかは、
その言葉を聞いている側が判断せざるを得ない。
ほとんどの人は、オリンピックの金メダリスト並みの努力をしてまで、金メダル並みの成果が欲しいとは思ってはいないのだろうから、
「自分のペースで成果を出したい」
「都合よく選択した上で成果を出したい」
「労せず成果だけは欲しい」
当たりが本音なのだろう。
(まぁ、だから、成果が出ないという迷宮に入り込むのだけど(笑)。)
要は、「成果を上げるようにやる」のではなく、
「やりたいようにやりたい」だけなのだから、
そうなると、「それならやってみたい」と思えるような選択肢をどれだけ増やせるか?と、
結果的に、そこそこまぁまぁの成果が出せればいいや、
ということになるのでしょう。
私のように、
「楽して成果出す為なら、どんな苦労も努力でもしていい。」
などというような(笑)支離滅裂なことを本気で思っている人間には、まずそういう自覚が必要で(苦笑)、
「やるべきこと」を目の前に出されると、まるでサングラスをかけるように、
見えているのに、まるで見えていないフリをして逃避するのだろうな、
と、サングラスをかけて見える色付きの景色を見ながら、そういうことを考えるのでした(苦笑)。
私は、家業廃業も株式上場も経験しています。
それは、運なのか実力なのか、
私は実力だと思い込みたいのだけど、やっぱり運が良かっただけなのだろうと思っていたりして、
せめて、やっぱり実力じゃんと自覚するとこまでは行きたいとは思っています。