ご都合主義の自分がいるだけ

久しぶりの新幹線の車内から。

以前は月に何度も新幹線や飛行機に乗っていましたが、この一年近くは月に一回乗るかどうかになりました。

ご時世柄か、今日もガラガラの車内です。

 

愛知県でも、緊急事態宣言が出てるんだけど、

家の中にいる時は、テレビの中に映し出される、様々な理由で外出してる、老若男女の様々な人の姿や理由を見ては、

こいつら大丈夫か?自分が勝手にコロナ感染して最悪死んだり後遺症に悩まされるのは勝手だろうけど、周りに対する影響を考えてんのかよ、とか思っては、

 

逆に、自分が外出する時は、やれ仕事だから、約束だから、今しかできないから、以前から決めていたから、とか適当なこと言いながら、

それが、実際のところ「への虫」にも値しないようなことでも、やれ経済を止めるな、動かないと何も変わらない、だのなんだの、適当に自分の中で、正当化するわけで、

 

仮にまぁ、こうして仕事だから、今日は新幹線に乗ってます、なんてのはいかにも100歩譲れたとしても、

そもそもその仕事ってのは、本当の本当に不要不急なのか?意味はあるのか?社会に役立っているのか?と問われれば、

極めて怪しいし、あるいは、外出なんてしなくても、やりようなんてのは探せば同じ効果がありうな方法なんてのは、いくらでもあるわけで、

 

いや、もっと言うと、人間の経済活動に基づく仕事って、地球環境レベルから言えば、

ほとんどが、人間の煩悩や欲求に基づく無駄やゴミの排出をしているに過ぎない、という視点もあるわけだし、

 

だから、不要不急って、どのフィールドやフレームワークに基づいているのか?というのは、

自分の何を不要不急と意思決定する前に、極めて根本的な問題として残っていると思うわけです。

 

そもそも、自分の存在自体が、どこまで、何に対して、誰に対して必要とされてるんかい?というと、私は結構自信ないですね(笑)。

存在そのものが、そもそも不要だったりするのです。

 

生きていれば、何らかのリスクは付き纏うことは当然ながら、

ここまでコロナ感染拡大が懸念される状況だと、

まぁ、コロナで死ぬか、コロナ以外で死ぬか、どっちで死ぬか?というリスクを自分で飲んで、

それぞれが信じる道を前に進むしかないのだろうなと思ってはいましたが、

 

先日入院して思ったのは、自分が感染することによって、コロナ以外が原因の病気の人に影響することも考えると、

果たして、自分だけがどうこう言ってればいいわけでもなさそうだとも思います。

 

 

いずれにせよどうせ死ぬことは決まっているのだけど、

これから先果たしてどう生きるのか?は、その人の、どう社会で生き、どう社会や人と関わっていくのかという、幅や深さがモロに出る問われるのでしょうね。

 

だから、お前はどうすんだ?と自分に問うている間に、あっという間に目的地に到着してしまったので、

考えるのをやめるのでした(苦笑)。

 

要するに私は、単に、優柔不断で、事なかれ主義で、自己中心的な進行形だということだけが明確な今現在です(苦笑)。

自分の都合の良いように正当化して、ただ生きているだけということを自覚させられます(苦笑)。

 

経験して分かったのは、胃カメラ飲みながら死ぬのは、とりあえず嫌だな(苦笑)。

 

 

まったく自分の都合でしか生きていない。
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