何をもってして、それを「やった」と言えるのか?

螺旋階段ってのは、クルクル回ってて、どこまで登ったら到達するのか分からなくて、
 
どこまでもクルクル登りたくなりますが、実際には2階までで、上の階段はイミテーションでした(笑)。

「今やってることは、『目的』か『手段』か」

 
という話はありふれるほどによく聞くわけで、

よって、言葉を知っている人は無尽蔵にいるわけなんだけど、でも、

 
「やってみたんだけど、効果がないからやめました。」
 
という話も無尽蔵クラスで聞きます。
 
 
「やってみたんだけど」という「やってみた」の基準や定義は人それぞれ曖昧で、かつ違うので、

だから、私のような自分都合で生きていたい適当人間は(苦笑)、

 
「何をもってして『やってみた』」と自覚するかを課す必要があります。

じゃないと、手段すら適当に誤魔化す人生になるのではないかと恐怖するわけで、

まぁ、例えば、ブログとか、Facebookライブとかの情報発信でいうと、

回数だと1,000回、時間だと10,000時間、というのがやってみた最低基準だと思っています。

 

そこで初めて、
 
「やってみて、効果があった」のか
 
「やってみたけど効果がなかった。」のか、
 
と評価できるわけで、
 
正しい努力の方法でやってみて、効果がなかったのなら、そんなもんは、よほど才能がなかったんだな、とスッパリ諦めて、とっとと次の方法に向かった方がいいわけです。
 
逆に、なぜスッパリ諦めがつかずにズルズルと長引いてしまうのかと言うと、それは「やっていない」からとも言えますね。

だとすると、実際に連続135日とかやってみて、そういう継続は、それなりに大変だし、なんか意味があると思い込みたいのは山々ですが、

100回だろうと、500回だろうと、1000回未満なら、やってもやらなくても、味噌クソ一緒で、評価にも値しないということだから、

まぁ、ギャアギャア騒ぐなということなんでしょうかね(苦笑)。

だとすると、どっちにしても3年はかかるわけで、スピードが速い今の時代に、果たしてそこまで待てるのか?というと、そこまでも余裕はないので、

 
例えば、今、毎日配信しているFacebookライブも、1日3回やって一年に縮めてみるか?と模索中なれど、

よくよく考えみれば、10時間爆睡してしまった(苦笑)私のようかアホ人間は、

 
その前に正さなければいけないことがあるのではないか?と、
 
さらにその前提から考え直さなくてはいけないのではないか?と気づかされているところです(苦笑)。

というようなことをグダグダと喋っているライブは、ちなみにコチラです(笑)。

 
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https://www.facebook.com/100003022667400/videos/2985510338226359/?id=100003022667400

企画の前にちゃんと生きなさい(苦笑)。
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