「分かる」のは「分からない」ということだけ
用事があって、商業施設に行ってきました。
マスクなんて面倒だからしたくもないけど、ほとんどの人がマスク着用で、マスクをしていないと白い目で見られるので、マスク着用です。
こうしてデニム仕様のマスク姿の自分を見ると、
ほとんど危ない人なんじゃないか?と我ながら思うのですが(苦笑)、
それが、今だと「好みのマスクを着用してる人」程度になんだろうなと思うわけで、
ほんの半年前なら「危ない人」が、今は「嗜好品を身につけてる人は」になるという、
結局は、自分がなんだ、独自性がどうだ、と言ったところで、
私はどこまで行っても環境に活かされているだけというのが大前提なんだろうな、と、
こういう時に、やたらと実感して謙虚な気持ちになります。
私は、人様の経営やビジネスに対して、今から未来が、よりよくなることを前提として、ご依頼を頂くし、ご依頼に対して、全力であれこれ考えたり、全力で話したりしているわけですが、
ほんの3ヶ月前に言っていたことと、今言っていることは、まるで変わっていることの方が多いわけで、
そう考えると、なんて無責任なことを適当に言っているだけなのだろう?と思ったりもするし、
さらに考えると、ほとんどのビジネスというのは、顧客が今よりもより良くなることを前提として、
何かしらアウトプットしていることしかないので、
ほとんどのビジネスというのは、極めて無責任なことを、あたかも信じられるように言っているだけ、
という論法が成立してしまうのではないか?とも思ったりもします。
たった一秒後のことすらも何も分からない、と私は思っていますが、
中には「分かる」という人もいて、それはそれでいいと思うし、実際にそうなのかも知れませんが、
その「分かる」ということの客観的な証明というのは、どこまでいっても誰もできないわけで、
結局のところ、「分かる」か「分からない」のかすら、私には「分かりません」というのが、私の本音です。
そんなことを考えてる最中に、
昨日、オリジナル「ウンコTシャツ」の再受注をこのブログで公開したのですが、
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ほとんど売れないと思っていたのに反して、一日で予想外のご注文を頂いていることに驚いた、
というのは、まだいいとして、
全4色展開のうち、ほとんどシャレのつもりで出した、絶対に売れないだろうと思い込んでいたウンコ色が、
まさかの一番人気という事実に、驚愕しているところです(苦笑)。
だって、ウンコ色のボディに、ウンコデザインキャラで、「私はクソ野郎」と書いてあるって、どんなんだよ(苦笑)。
何がいいたいかと言うと、要するに、結局のところ、私は何も「分からない」ということです。
「売れると思っていたことは売れなくて、売れないと思っていたことは売れる。」
なんてことは日常的にあるわけで、だから、そもそも、収益を上げようと日々努力と奔走を誰もがしているに関わらず、
うまくいく人と、いかない人がいる、という現実があるのだと思うわけです。
要するに、誰も何も「分からない」というのが、実は本当のような気がします。
何も「分からない」ことを前提に、できるだけ分かるように確率を上げようとしたり、仮説を立てたりしているだけで、
実は「何も分かっていない」ということになるわけで、
ここ2ヶ月の間に、私が改めて分かったことは「私は何も分からない」という、まるで禅問答のような現実でした。
あとは
①「分からない」けど、過去の統計から学び、できるだけ分かる確率が上がるように努力しようとする
②どうせ「分からない」のだから、何も考えないし、何もしない
③それすらも考えない
の三択あたりに絞られるような気がします。
何が自分らしいのか?の前に、何が人間らしいのか?
という大論にまつわる問題になってくるのだろうし、
そもそも「人間らしさ」というものを、
宗教的な思想からもってくるのか、
宇宙や見えない世界からのアプローチからもってくるのか、
生物学や脳科学の現時点での証明をアテにするのか、
そもそもの自分の主張を形成している根拠やよりどころはどこにあるのか?ということにも及ぶわけで、
そうなると、もう、最後は一人一人が勝手なことを好き勝手ぬかして、ただ自分の主張を大声出して叫びながら、ただ生きてきるだけ、
とも言える可能性も相当に高いということに行き着くような気もします。
そんなことを考えながら、少しは謙虚になりながら、
今の今、私がせめてさせて頂けることを考えると、
「ウンコTシャツ」のご注文を、6月7日(日)23時59分まで、心からお待ちしております(苦笑)。
という、どうでもいいような目の前のことに戻るのでしょうね(笑)。
謙虚になって、お待ちしています(笑)。
しかし、謙虚になって、ウンコとか文字入力するとかって、いったい何なんだよ(苦笑)。