「現実の喧騒」と「美しい人生」の狭間で(苦笑)
冬の澄んだ空気に映える富士山は格段の美しさがありますね。
仕事で移動する新幹線の中というのは、日常の為の移動といえるわけで、
日常というからには、そこには現実や喧騒がつきまとうわけですが、
人の一生というのは、果たして大変な現実や喧騒の時間だけで過ぎ去っていくのか?というと、
そんなことは恐らく誰も望んでなんていなくて、
大変な現実や喧騒の中にも、幸せや豊かさを感じたいというのが、まぁ人間なんだろうな、と思うわけです。
時に、仕事の移動中に、綺麗な冬の富士山に見惚れたり、
寒くて眠たいだけの冬の早朝に、美しく輝く朝日の眩しさに出会えたり、
そういう一つ一つの些細かもしれないような出来事を、一つ一つ丁寧に新鮮に心に刻めるかどうかというのは、
生きていく上で、とてもとても大切なことなんじゃないのか?と思います。
「食って、クソして、セックスして、寝て」だけを繰り返して死んでいく人生なんてのは、現実なれど、それだけでは、何とも味気なく、そして意味なく感じ、
かといって、
やれ「美しい、綺麗、楽しい、嬉しい」とだけ歌い続け、誰にも貢献せずに、脳天気に自分だけが嬉しくて楽しくて、何の実績も成果も残さずに、そのまま死んでいければ、それでいいのか?といえば、そんなものは、とても空虚で虚しいわけで、
その狭間を行ったり来たりしながら、自分の人生の定位置というものを認識していければ、
それこそに幸せや豊かさというものがあるんだろうな、と思ったりします。
そんなことを、早朝の新幹線の窓からの美しい風景を見ながら、物思いにふける自分を見てみようとインカメにしたら、
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美しい風景とは裏腹に、クソむさいオッさんが写っているのでした(苦笑)。
現実の喧騒だろうと、人間らしい美しさだろうと、そんなもんどっちでもいいから、
オメーはオメーで、ブログとかSNSとか、情報発信をサボらずに、オメーが頑張ってやれよ、と言い聞かせるのでした(苦笑)。