悩みがあるってのは幸せなのかもね(笑)
昨日までの北陸〜新潟方面の遠征で、涼しくなってきたと感じたので、
名古屋もそろそろ涼しいかな?と思って、プルオーバーのデニムパーカーを被って外に出たら、
まだ、全然暑かった(苦笑)。
日中は30度だったんだってよ。
私の場合は、秋口になると、なぜだか、こういう薄手のプルオーバーパーカーを着ることで、秋を感じたくなるんだけど、
何にせよ、そういうのってないですかね?
まだ暑いかも知れないけど、「絶対に着る」と決めないと、
うかうかしてると、秋なんて、一気にすぐ終わっちゃうから、
個人的な楽しみな儀式はやれずじまいで終わっていくわけで、
何もしなければそのまま何もせずに終わってしまっていくわけですね。
私なんて、「絶対にやる」と心に決めたり、誓ったり、決意したり、
そういうことでも、実際にできたことや、できるに至る継続の努力や行動をできたことなんてほとんどないわけで(苦笑)、
ましてや「できればやれたらいいな」程度に思ってることなんて、
やり出すことすらしないから、当然、結果を出すなんてこと100%ないわけで、
私が「やれたらいいな」「できれでやりたい」なんて言ったり思ったりしている時なんてのは、
「絶対にやりません」と宣言してるのと同じです(笑)。
私なんて、「絶対に何が何でもやる」と決めたつもりで、それなりの行動や準備や努力したことですら、
その中の数パーセントくらいしか「実際にできた」ことなんてないのだから、
成果を出せる確率なんてのは、極めて低いボンクラなのだと一応自覚はしてるつもりです(苦笑)。
だから、実際に、実績を出し続けている人を見ると、一体どれだけの意思決定と具体的行動を繰り返しているのだろうか?と予想してしまい、毎度頭が下がります。
片や、目標達成に対して、口では「本気です」とか、
できていないことに対して、口では「本当に悩んでいるんです」とか、
まぁ、そういうのはよく聞かされることはあるし、実際に相談されることはありますが、
いざ、具体的に何をやるのか考えて意思決定しなきゃいけないという、初動中の初動段階において、
「そこまでしたくないよ」「そこまでやる必要なんてないよ」「後でよく考えます」なんていう言葉が出てきて、あとでいくらでも言い逃れできるようなことを言ってるのを聞くと、
「悩んでいることに対してどうしたら解決できるのか?すら考えたくもない」
と言っているのと同じなわけだから(笑)、
「なぁんだ、本気でなんて考えいないんじゃん。悩んでなんていないんじゃん。っていうか、そもそも悩んでいたいんじゃん。悩んでいたくて悩んでいるんだから、それでいいんじゃん。
解決なんてしたらダメなんじゃんね。」
と、やっと理解できて(笑)、そのままにしといてあげて、とっとと話を切り上げたりします。
解決できなくて悩んでいるのかと思ったら、
悩みたくて悩んでいる、あるいは悩んでいる自分を知って欲しがっているという場合は案外多くて、
そういう場合は、悩んでいることがしたいのだから、そのままにしておいてあげた方が、
その人にとっては、きっと幸せなんでしょうからね。
悩んでいることが幸せっていうのも、私にとっては気が知れませんが、まぁ、人は人それぞれですからね(笑)。
あるいは、自分では何にも、なぁ〜にもせずして、そうやってピーピーキャーキャー言ってれば、誰かやってくんないかなぁ、みたいな、せいぜい3歳児くらいで脳が止まっているか。
まぁ、いずれにせよ、そうやって生きてこれているのだから、それはそれでいいのでしょう(笑)。
私は関わらないように、うまく逃げようとはしますけどね(笑)。
そんなようなことを考え思うほどに、
「着る」って決めないと、涼しくなっているのか、まだ暑いのか、よく分からないのに、プルオーバーパーカーなんて着れないのだから、
一応、強烈な意思決定をして着てみたわけですが、今日は、まだ暑くて後悔したという結果があるだけ、ということでした(笑)。
っていうか、明日からのまたの遠征、何を着て行けばちょうどいいんだろうな(苦笑)。
迷うし、悩みです(苦笑)。
こういう些細なことで悩めるのは幸せですね(笑)。