楽しいも悲しいも交互に来るのが日常なのだから
久しぶりの街で、出かけるのを楽しみにしてたら、
外は予想外に寒くて、せっかくならレザージャケット羽織れば良かった、と残念に思ったけど、
久しぶりのお気に入りの店舗に行けると思ったら、楽しくなって、そんなこと忘れて、
そんで、お店に行って、試着したくなった服のサイズがあるかを店員さんに聞いたら、ちょうど欲しいサイズが切れていて、残念と思ったら、
でも、明日入荷予定と聞いて、ラッキーと一瞬思ったけど、
でも、よく考えたら、明日は移動しなくちゃいけないので、やっぱり残念だと思いながら、
別のジャケットを羽織ってみたら、「俺、スゲぇカッコいい。」と嬉しくなって(笑)、
でも、他に用事もあったので、用事を済ませながら、食事でもしながら、別のジャケットのことをよく考えようと、一旦お店を出て、
そういえば、欲しかった本が、もしかしたら古本屋さんにあるかも、と思って、
ダメ元で行ってみたら、ネットでも探さなかった欲しかった本か見つかって、有頂天になって喜んで、
そんで、中身の確認させてもらったら、思ったよりも状態悪くて、なんだか残念と思ったけど、
久しぶりにドカンバカンとしたアメリカンなハンバーガーを食べること考えたら、何だか楽しくなってきて、
ウキウキしながらハンバーガー屋さんに行ったら、いつもはタバコ吸えるのに、土日祝日は全席禁煙と聞いて、一瞬悲しくなったけど、
注文して出てきたハンバーガー見たら、タバコのことなどすっかり忘れて、とても嬉しくなって、脳天気に楽しく食べて、
そんで、最初の洋服屋さんに戻って、さっき試着した服をもう一度着せてもらおうと、意気揚々と戻ったら、
サイズが切れてた最初の服が、ついさっき、一日早く再入荷してて、まぁ、嬉しいと一瞬思ったけど、
すぐに、買おうと思ってた二つ目の服とまた迷うことになるんじゃねーか?と、嬉しさが半減したような気持ちになった(笑)。
そん時に、こうして刹那的にやってくる、嬉しさとか悲しさとか、楽しさとか残念な気持ちとか、
そんなもんは、交互に勝手にやってくるのだから、
いちいちそういう感情の一つ一つを、やれ嬉しいだ、楽しいだ、悲しいだ、残念だ、とギャアギャア大騒ぎしてうるせぇことを言うことなく、
かと言って、一つ一つを何も感じないなんてぇのは生きているとは思えないわけで、
一つ一つを感じながらも、こういう特別でも何でもない、誰にでもある一般的で平均的で脳天気なのが日常なのだから、
今日も今日とて、なんの変哲もない、ダラダラグダグダした普通の日で良かったね、の一言で終わらせれば、
そんでまぁ、幸せな毎日ってことでいいんじゃねーか?
と思うのでした(笑)。
楽しいばかりの一日もなければ、一生もない。
悲しいばかりの一日もなければ、一生もない。
楽しくて嬉しいことばかりあると、楽しさも嬉しさも、実感することそのものが消滅してしまうのだから、
悲しさも残念さも不幸せも、楽しくて嬉しくて幸せでいるためにいてくれて、
それが普通で日常なんだろうと思っているので、
何が起こっても、「ま、いっか。どーせ死ぬんだし、適当で。」という、
都合の良い事なかれ主義、出たとこ勝負、人生成り行き程度がいいんだろうなと思って、
ハンバーガー、美味しかったら、私はそんでいいや(笑)。
今日も脳天気でいさせてくれて、世の中ありがとう(笑)。