「考える」というのは基本面倒なんだよな
次から次へと仕事でやることが増えて忙しくなると、明日以降のことが考えられなくなって、
「こんなに忙しいのがあとどれくらい続くのだろうか?これからの自分の仕事や人生のことをじっくり考えられる一人の時間が欲しい」
とか思ったりもするけど、反面、
いざ一人の時間が取れて、一人になれたらなれたで、遊んでしまったり、遊んでしまったり、遊んでしまったりで(笑)、
何だよ、結局、仕事や人生のことなんて、ちゃんと考えるつもりも、そもそも「考える力」なんてのも自分にはないんじゃん(苦笑)、
と自覚するまでには、結構時間がかかったりするわけです(笑)。
そういう自分に気づけてから、やっとはじめて、
「目的・目標に対して、自分て考えて、自分で行動してみて、失敗事例と成功事例をストックしていくこと」
が今の時代は大事なんだろうな、と理解するのでしょう。
ちなみに、私は、できるだけ、考えたくありませんが(苦笑)。
何も考えずに、誰にも規制などされずに、面倒くさいことなどせずに、勝手に自由にボッサーとダラダラと生きていけたら、なんていいんだろうと少しは思い、
でも、同じ生まれてきたのなら、人のお役に立てたり、誰かの嬉しさや幸せに貢献できたり、
万が一にでも、これからの生き方の選択肢の一つの候補にでもなれたら、生きてきた甲斐があるってもんだな、と少しは思い、
生きていく以上、一定のお金というのは必要だから、それをどうするのか?
程度には思いますが(笑)、
じゃあ、本気の本気で、それらを同時にできるようなことを考えて、一つの結論や方向性を見出しているか?と言われると、
まぁ、考えてねぇなぁ、となるわけですね(苦笑)。
私が過去それなりに考えてきた時というのは、「考えざるを得ない」前提があった時しかなかったように思います。
でも、いざその時になって考えても、考えてこなかったわけだから、すぐに考えが浮かぶわけではありません。
で、困るわけです(苦笑)。
ということは、「考えざるを得ない状況」が続くことこそが、
「自分で考える力」を鍛える最も良い機会とも言えるわけですね(笑)。
そう考えると、人が呆れるほどの個人的な煩悩や欲望や、
どうしても解決したい不満や不安や、
上から降ってくる無茶な目標設定や、
他人からの依頼というのは、
一見、良くないことのように言われますが、片方ばかりではなく、
真正面から果敢に挑んでみることで、やってみた人だけが得られる大きな価値や、目に見えぬ資産になるとも言えますね。
そう考えると、考えるかどうかというのは、
考える時間があるかどうかではなく、
考えざるを得ない状況かあるかないか、
の方が前提とも言えますね。
考えるというのは、基本的に面倒なことだからやりたくないけど、
いざ、考えなきゃいけなくなった時に、考えられる状態にしておく準備は必要だろうな、と経験上思うわけで、
だから、考えたくなくても、考えることがあれば、それはそれでまぁいいのか、と思うわけです(笑)。
ということを、何も考えずに書いているのかも知れませんが(苦笑)。