「どっちでもいい」かどうかはやってみないと分からない(苦笑)

娘の成人式用のキツネのマフラーを出したらしく、娘は使わなかったらしいんだけど、

どっかで見たことあるなぁ、と思ったら、ウチの犬にそっくりじゃねーか?と思って、一緒に撮ってみたけど、

犬が「そんなもんどっちでもいいじゃねーか?」みたいな、すげぇ迷惑そうな顔してた(笑)。

 

どっちでも良くねーだろ?

だって、お前は寒くてもマフラーほど長くねーんだから、

と教えてやろうと思って、久しぶりにマフラーの刑にしてやったら、

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やっぱり、すげぇ迷惑そうなだけだった(苦笑)。

 

でも、短くても犬の方があったかいような気がするな(笑)。

改めて、何事もやってみんと分からんな(苦笑)。

そりゃ迷惑だわな(苦笑)。
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本当に自分にしかない「独自の価値」はあるのか?

何か知らんけど、人前で調子こいて喋っている画像です(苦笑)。

人前で喋って、お金を頂く以上、私でなければいけない理由はどこにあるんだろうか?ということをよく考えるのですが、今のところ考えていたことを自分用に纏めてみました。

 

 私が出す知識の前提は全てパクリです(笑)

気がつけば、小学校の頃から、人前で喋り続けること数十年、発信する以上は「私にしかできない」と言われたい欲求を持ち続けながら、

でも、社会に出て、人前で喋るようになり、あげく、お金を頂くようになってきたある日、講演の準備をしながら、決定的なことに気づいたことがありました。

 

私が人前に立って伝えている知識や情報の一つ一つは、前提が全てパクリだということです(苦笑)。

 

 「知識」そのものには大した価値がない

同じ伝えるといっても、この十数年間は、経営やビジネスにおいて成果を上げることで、人様にお伝えする機会がほとんどなのですが、

伝えている断片情報の一つ一つ、特にノウハウや知識に纏わる一つ一つは、全て、過去に受け取った情報のパクリでしかありません。

よって、それそのものに私のオリジナルなど一つもありません。

考えてみれば当然なのですが、

そのどれもが、過去に読んだ書籍、過去に聞いた誰かの話、過去に見たことのある図表、過去教えられた仕組み・・・・。

全ては過去に、どこかの誰かが言ったり、主張したり、見つけたりした原形があったものばかりです。

 

 自分が知っている程度の知識は、相手も知っている

お金と時間をかけて、私のセミナーを聴いて下さる方達は勉強熱心な方がとても多いので、

だから、私の発信する断片情報だけみれば、「それはもう知っている」「どこかで聞いたことがある」「あの本にも同じことが書いてあった」「あの人が言っていた」・・・・・、

そう思われることはとても多いのだろうな、と思っています。

そういう意味で喋る時のプレッシャーは相当あります(苦笑)。

断片情報や知識は、どこからどう切り込んでも誰かがどこかで知っているものしかありません。

だって、私自身が自分で新たに作ったり、世紀の発見をしたわけではなく、私以外の誰かから勉強させて頂いたことしかないのですから。

 

 知識だけなら、より多く知っている人はゴマンといる

世の中には、経営やビジネスに纏わる知識やノウハウだけなら、恐らく私なんかよりも、知っているという人はゴマンといるはずです。

無論、私もそれなりの勉強はせざるを得ない環境にいたこともあって、それなりの勉強はして、その知識はあるにせよ、

それなりというのは所詮それなりであって、私なんかより知識や情報を知っているという人はゴマンといて当然です。

 

それは私だけではなく、全ての人に当てはまります。

すでに世の中に出た情報から、何かを得ている以上、そこから得て脳で記憶した知識や言葉というのは、その時点では単なるパクリということができます。

だから、「今までにない」とか「私しかできない」という前提で語られる人がいると、まず疑ってしまいます(苦笑)。

 

 お金の取れる価値と取るに至らない価値

知識や情報というのは、水の流れのように、知っている人から、知らない人へと流れます。

それは、時に、ある種の価値となります。

よって、どこかのセミナーや勉強会に行って初めて聞いた話を、まだ知らない人達へ伝える、

あるいは、読んだ書籍に書いてあることを、まだ読んでいない人達に伝える、

あるいは、Aさんが言っていたことを「なるほどなぁ」と思って、Aさんと関わりのない人達に伝える、

という工程には、価値があるかと言えば、価値の一つとしては想定できるし、

それはそれで元の情報の廉価版としての価値があると言えばあるでしょう。

 

それをもってして「自分の価値」とするかどうかは、美学や生き方の問題であるし、

それを好むかどうかというのは、価値観の問題といえるでしょうから、

それで良ければそれで良しでしょう。

(あと、受け取った情報や知識を過不足なく、できるだけ正確に次へと伝達することによって発生する価値もあるでしょうから、それは当然別の話となります。)

 

しかし、セミナーや講演で、高額に関わらず多くの人を集める方というのは、確実に存在しているわけで、

ではそういう方というのは、経営基礎知識や一般論は当然として、何が「オリジナル」「独自の価値」だと人に認識させるのか?

なんとなく頭では分かっているようで、こうして明文化するにはなかなか至らなかったりしていました。

 

 それでも誰もが「自分はオリジナル」たる欲求はもつべきである

問題なのは、私がどこかにオリジナルの存在でいたい、固有の何かを持っていたい、という強烈な自我を持ってしまっていることです(苦笑)。

何より、私の講演やセミナーが「独自化」を謳った内容を中心にしているが故、どうしても、受け取った情報や知識をそのままそっくり伝えて「はい、知らなかったでしょ?これが価値です。」というのだけでは、どうも自分に納得いかないし(笑)、

実際にやってもいないしできてもいない奴からなんて、偉そうに教えられたくねーよ、と日頃から自分が思っているものだから(笑)、

どうしたら、パクリのみの情報・知識の連続に関わらず、伝えるのがツヴォイでなくてはいけないのか?を考えてしまうわけです(苦笑)。

 

じゃないと、伝え手として前に立ったり、こうして何かを書いては発信している側としては、説得力がないと思っているから。

まぁ、あと、私はケチなので(苦笑)、仮に廉価版であるなら価格相場は下げろよ、と思っしまうタチなので(笑)、自分が逆に廉価版になった場合、価格は安くしなきゃいかんとなって、それは自分を安売りディスカウントするようでイヤだから(苦笑)。

心のどこかに「俺の人生はそんな安くはないぜ。」と思っている、それも大きいですね(苦笑)。

 

 限界はあるものの諦めてはいけない

まぁ、どんなにオリジナルでいようと頑張っても、生まれてから今日に至るまでの環境に影響を受けているわけだから、どこまでいっても限界はあるわけだけど、

お金を頂くことが前提で、私みたいな適当な者(笑)をお呼び頂く以上は、できれば「あぁ、ツヴォイで良かった。ツヴォイからでしか聞けない。またツヴォイがいい。」と、なんとなくでも思って頂きたいという願望だけはあるわけで(苦笑)、

じゃあ、どうしたらいいのか?と。

 一番良い方法は、すでに実現している人を徹底的に観察すること

ある時から、私は「どうしてこの人の伝えていることはオリジナルに思えてしまうのだろう?」という人を、しつこく観察するようになっていました。

前記したように、私も含め、誰かが今伝えていることは、その全ては、今までに影響を受けた誰かのパクリであるはずです。

なのに、見た目には「固有の完全オリジナル」のように見える。

なぜそう見えるのか?ということです。

そういう風に感じる方達を、何度も何度も観察していくうちに、いくつかの共通項目の仮説を立てるに至りました。

 

 「オリジナル」「独自化」への4つのポイント

やっと本題というか・・・・・(苦笑)、

まぁ、見えたと言っても、あくまで私なりにですから、私見です。よって責任は持てませんが、ご参考程度にはなると思い、記載しときます(苦笑)。

ただ、やっぱり真新しいものではなく、結局は、誰がどこかで言っていることに戻るのですけどね(笑)。

いや、納得いくまで一周回すことこそに「オリジナル」へのヒントや、言っていることの深さが宿るのですから(笑)。

 

さて、「オリジナル」を感じてしまう人の共通項目のポイントだけ書くと、

① 体験・経験

② 編集力と本質を見る目

③ 伝える力

④ キャラクター

の4つです。

私なりに観察して分析してみた結果、「オリジナル」「独自化」している人は、皆それぞれ、この4つの要素を持たれています。

 

私が「あぁ、この人の話や文章は、絶対にこの人にしかできないだろうなぁ。」と思える人の発信というのは、

文字通りその人にしかできないのだから、私にはできないというのは当然です(笑)。

仮に言葉や知識はパクれたとしても、人間そのものを人生を丸ごとパクることはできません。

だから、現象にはない、本質的な要素はないもんか?と何とかヒントを得ようと、観察しまくって、自分なりに分析しまくって、モノマネとかしまくって(笑)、そうやっていくうちに、なんとなくですが、共通項目が見えかけてきたという感じです。

正確に言うと、いつもいつも観察して、細かく細かくメモしながら、家でその人のモノマネをコッソリしているうちに(笑)、ほとんどのどうでもいい情報が徐々に削られてきて、消去法で残ってきたものが出てきたという感じでしょうか?

これも、すげぇ面倒くさい作業を、自分で実際にやってみたから見えてきたからであって、

そういう意味では、今回上げた4ポイントは「オリジナル」と言っても良いのかもしれません。

 

御大層に4つのポイントと言ったところで、文字だけ見たら、なんだ、やっぱりどっかで聞いたようなことじゃねーか?という感じだと思います。

だけど、私は今や、自信をもって、自分のこととして、こうして書けるし、喋ってみろと言われたら、何も見ずに5時間くらいは平気で喋れますよ(笑)。

自信というのはそうやって生まれ、その人の言葉や文字として変換されていくのだと、今は思っています。

だって、たかが、この4ポイントを書くのに、これだけの長文が、果たして誰にでも書けるか?といったら、

これはこれで、誰でもなく、私が書いているわけですからね(笑)。

一つ一つのポイントを、ちょっとづづだけ、解説風に纏めておきます。

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 「独自化」4つのポイントちょっと解説

個人的には、4ポイントに絞れたので、もうこれでいいのですが、各ポイント毎にちょっとだけ解説を付け加えようと思います。

① 体験・経験

私が、お金を払ってでも得たい情報というのは、書籍であれセミナーであれ、

その伝え手本人の具体的でリアルな体験・経験の話が必ず出てきます。

まずこれが大前提中の大前提だと私は思っています。

答えは過去にはないでしょうが、やはり、実際にその人がやってきた体験・経験というのは全て過去の出来事ですから、その経験がその人にとって良かれ悪かれ、それが自分にとって何であったのかをしっかりと自分で認識できている人です。

事実を事実として客観的にちゃんと受け止めているので、感情とは別に事実を事実として淡々と語れる人です。

まぁ、だから、それを「素直」というのか、「ありのまま」というのか、「許す」と言うのか、専門用語は私は知りませんが、どう見られたいか?よりも、何があったかだけを自分で自分を客観視して、

それがどうだったかの感情は別として、それはそれで認識できる人かどうかということになりますね。

 

裏を返せば、過去起こった出来事は、その人の中で全てクリアになっていたり、肯定化できているように感じられます。

じゃあ、どうしたら、クリアになるのか?ということですが、

クリアになっている人というのは、自他ともに認めるだけの何らかの実績がある人が、やっぱり多いような気がします。

そう考えると、実績というのは、全ての過去をクリアにするきっかけを持つためにも必要なのかも知れないと思うのです。

私の場合で言うと、家業の廃業経験は、株式上場によって肯定的な体験・経験であったと正々堂々恥ずかしげもなく人前で言えるのは、

やはり株式上場という一つの実績が大きいと思うのです。

「私なんて代表取締役『無職』ですから。」なんて自己紹介で言えるのは、心の裏側でちゃんと(でも上場経験もあるけどね。)と自負しているからに違いないんだろうな、と一応自己分析はしています(笑)。

こういうこと書くと、ちょっと嫌な奴になるからイヤなんですけどね(苦笑)。

 

あとは、実践している人の特性は、本やセミナーで得た知識の中で、納得性の高いものや、論理的には十分理解できるものがあったら、実際にやってみるという行動はやっぱり伴っているわけで、

これも含めて、その人にしかない体験・経験と、私は定義しています。

 

そういう人は、上手く行くと思って行動してみたら、実は、聞いた通りの仮説通りにスイスイ上手くいかない(笑)ことを良く知っています。

よって、うまく行かずに立ちはだかる壁を解決する為に、また新たな知識やヒントを探求します。

探したら、またやってみて、思ったほどうまくいかないことが出てきて、その解決の為にまた・・・・・・、と繰り返して、結局は実績ができるまで、性懲りもなくやり続けているのです。

この繰り返しの過程が、話していることの断片情報はどこかで聞いたことがあるような同じ内容でも、全体のシナリオになると、その人にしかない「オリジナル」になっているパターンがほとんどです。

入り口の知識が同じでも、実績が出るまでやり切ることで、出口の段階で気づいたり発見できた大切なものは、

入り口の知識とは全く別のものであって、そうなると、その一部始終を聞いた側は、それはもう、その人の固有の価値と誰もが認識するということです。

断片情報はどこかで聞いたパクリ知識だとしても、行動による全体を俯瞰してみると、その人の人生観や人間観が浮き彫りになり、結果として見事なオリジナルになっているという、そういう仮説を今私は持っています。

 

 

② 編集力と本質を見る目

知識は大して変わらないのに、オリジナルを感じてしまう人は、

自身の体験・経験と、本来伝えたい知識・情報を編集(組み合わせ)して、相手に分かり易く伝える特性を持っています。

それを私は編集力と言っています。

(オリジナルをこちらが感じるお相手が、意図しているか、していなかは、分かりませんが・・・・・)

編集力が圧倒的になると、聞いている方に対して圧倒的な伝わり方と理解を生み出します。

少なくとも聞いている時の私には、「あぁ、そういうことか。要は、あれと同じってことなんだな。」と、面白いように伝わってきます。

 

さらに、聞いている相手によって、組み合わせる対象が変えられるというのがとても大きい。

例えば、子供には子供用に、社長には社長用に、時に年齢別に、時に職位別に、相手側が分かり易い事例を出して、本来一番伝えたいことを理解させるに至ります。

そういう思考力に、私はとても憧れてしまいます。

じゃあ、どうしたらそんなことできるのか?ということになる。

簡単に言うと、例えば、経営知識の取得以外に、いかに遊んでいるか?ということだと思っています。

遊ぶと言っても、いつも同じメンバーや友達と、一緒に飲みに行くとか、カラオケで騒ぐとかじゃなくて、

心に残るような感動体験や、人生で魂が揺さぶられるような出来事をどれだけやってきたか、あるいはやっているか、ということです。

そういう体験は、絶対に忘れません。

だって、勉強したことを、勉強以外のことと組み合わせるわけですから、勉強以外のことをしてないと組み合わせる対象がありません。

それらを総称して、「勉強も遊びも」とか、「仕事のような遊び・遊びのような仕事」ということになるのだと、私は思っています。

 

ここでいう「編集」(組み合わせ)というのは、見た目には別々のもの(例えば、映画と経営論、恋愛とマーケティング論、漫談と経営基礎知識、などなど)の、共通項目を見出せるかどうか?です。

その目には見えない共通項目のことを「本質」といっています。

これが認識できないと、そもそも組み合わせることができないので、必須だと思っています。

 

本質というのは、伝え手の思考の中にあるので、外からは見えません。属人的な要素なので、何が正解かどうかは分かりません。その人なりに考えることができる思考力があるかないかだと思っています。

その思考力が持てている人というのは、話をよく聞いていると、自分の幼いころからの体験・経験とその時の感情をしっかり見ているし、

人生の中での辛いことや苦しいこと、理不尽なことがあっても、そこから逃げずに、自分と向き合って、それは自分にとってどういう意味があるのか?ということを、自分なりに理解できている人が多いと思っています。

それが物事の本質理解ということであり、自分なりの物事の定義を持てているかどうかになります。

そういう思考力を鍛えるには、脳科学の本などに様々な方法はあるにはありますが、

私が好きな方法は、「好きな映画や昔のプロレスの試合」と、「ビジネス論や業績アップの方法」といった、まるで違うモノどうしの共通項目を無理やりにでも考えて探してみるとか、

難しい専門知識用語を、小学生とか、まったく興味のない相手にどうしたら伝えることができるか?みたいなのを、機会があるごとに、しつこく(笑)実験しまくることです。

 

さらに、具体的な一手を一つあげろと言われたら、私は間違いなく「毎日ブログを書くこと」をあげます。

アホなことと、真面目なコトを組み合わせるにはどうしたらいいか?

こんな長文を(笑)最後まで読ませ続けるにはどうしたらいいか?とか、

それはそれは、いちいち考えないとできません(苦笑)。

でも、ブッちゃけ、書くだけ書いたら、実際には誰にも読まれなくてもいいのです(笑)。

なぜなら、私がブログを書く第一の目的は、自分の編集力と本質を見る目を鍛えることですから(笑)。

こうして書いている時点、あるいは、人に読まれることを前提に書き終わった時点で目的は達成されているのです。

いちいち考えないとできないことを面倒でもやり続けることを課さないと、ものぐさな私の思考というのは鍛えられませんから(苦笑)。

一つ二つ程度の組み合わせなら、多くの人はできるでしょうが、これを毎日考えるとなると、私にはもう大変です(苦笑)。

私は自分の編集力や思考力を鍛えることを一番の目的にブログを書いていると書きましたが、

実際は、「言うは易し」で、なかなかできていません(苦笑)。

ほとんどは、考えては「ダメじゃんこれ」の連続で(苦笑)、適当に書いて誤魔化しているというのが実情です(苦笑)。

途中で諦めたメモ書きがどれだけあるやら(笑)。

それでも、少しは考えないといけないと思っているので、まぁ、毎日やることとしては、何もしないよりはマシなはずだと割り切っています。

ちなみに、何が恐いって、これから、やれ新しい時代がやってくるだの、AIの登場により人間の仕事がなくなるだの、「そういう時代にあなたはどうする?」なんて脅されているわけで、

どうするもこうするも(笑)、それなら機械がまだできないだろうことを考えていかないといけないわけで、「考える力」だけは毎日でも鍛えとかないとヤバいんじゃねーか?と思っているのです。

私は、「人間らしい仕事」というのは、機械がまだやらない不効率なことや、不合理なことしか活路がないと思っていますから、

そういう意味では、例えば、「への虫とも思えないような下ネタ」と「真面目なビジネス論」の編集なんてのには、とても興味があるのです(笑)。

AIは、経営の効率化や、作業の合理化の為に「下ネタ」はもってこんでしょう、恐らく(笑)。

 

③ 伝える力

伝える力は、声の大きさとか滑舌とか、技術的な要素も含めいろいろあるのでしょうが、

私は、一つだけ言うなら

「自分の頭の中の映像を、言葉を使って、相手の頭の中に同じ映像化ができるかどうか」

ということだと思っています。

 

自身のリアルな体験・経験に基づいている人というのは、その時のリアルな映像と感情を、そのままに伝えることができるので、相手にも同様の映像と感情が伝わりやすいというのはあると思っています。

伝えるのが上手いなぁと思える人の話は、こちらがその時の映像を頭の中で描けています。

 

頭の中だけの知識を、ただ並べ立てている人の話は、聞いていてまるでリアリティがありません。読んだ本や聞いたセミナーをそのまま言いたいだけのペラペラ上っ面の人に見えてしまいます。

人というのは不思議な生き物で、自分のことは置いといて、他人の言う事が本当かどうか見抜く力があるように思います。

「言葉としては分かるけど、おめーが言うなよ、おめーが。」なんて思うことはしょっちゅうあるのではないでしょうか?

私は、人の話を聞いていても、人のブログを読んでいても、そう思えることは、すっげぇ一杯あります(笑)。

「その言葉があなたの口から出る理由を教えて下さい。」「その言葉を認識するに至ったあにたの体験・経験の具体事例を教えて下さい。」としつこく聞きたくなります(笑)。

まぁ、かくいう私も、こういうさも分かったようなことを恥ずかしげもなく書いているわけですから、きっと、誰かからそう思われてるのでしょうけどね(笑)。

相手からどう思われるのは、相手が決めることなので、どうしようもないですが、

ただ、せめて、実際に自分がやってきたことに限定して伝えるということだけはこだわりたいと思っています。

それは、まだプロとして講演する者として駆け出しの私としては、知識だけのヘタなこと言って、他人から見透かされるようなブザマな醜態はさらしたくないのですね(笑)。

ぺらっぺらのすっかすっかに見られるのは、この仕事には致命的だと思っていて、一旦そう思われてしまったら、恐らくリピートや継続が不可能です。

今のお仕事の中心になっている以上、私はそれがとてもとても怖いし、あとは、まぁカッコ良くいたいという私のエゴでしょうかね(苦笑)。

④ キャラクター

あとは、その人個人がそもそも持っているキャラクターです。

例えば、男性なのか、女性なのか?

若いのか、年寄りなのか?

デヴなのか、ヤセなのか?

ハゲなのか、ロン毛なのか?

ソフトな印象なのか、ハードなイメージなのか?

情熱的なのか、冷静沈着な印象なのか?

上から目線で教えるのか、下からくぐってくるのか?

天真爛漫なのか、瞳の奥に悲しみを背負っている感じなのか?

ファッションはトラッドなのか、アメカジなのか?

 

などなど、その人のそもそも持っているパーソナルの部分や、趣味嗜好によるものです。

それを好むかどうかは、相手が決めることなので、結局は、無理したくないなら、そのままの自分で行けばいいじゃん(笑)、となるのですが、

大事なのは、いつもの自分は他人からどう見えるのか?という、自らを客観視できる視点を持っているかどうか、ということになります。

キャラクターというのは、結局は、相手から見た好き・嫌いに委ねられるので、ことビジネスでいうなら、共感してくれる人数の結果を謙虚に受け止めながら、進んだり変えたりしていくしかないかなぁ、くらいしかありません。

ただ、価値観が多様化している時代というのは、言い換えれば、「誰もが自分の好き嫌いを前提に選べる時代」ということですから、

こんな私でも、価値観の多様化している時代は、もしかしたら、私が私のままでいても、私のキャラクターとして好んでくれる人がいてもおかしくはない(笑)、すなわち、チャンスは十分にあるだろ?と思っているということです(笑)。

どんな奴でもチャンスだけはあるんだから、今の自分のキャラや人との関わり方で良かれと思ってるなら、それを信じてやるだけやってみたらいいじゃん、ということです(笑)。

まぁ、最後は、人気者とはどんな人なのか?ということになるのでしょうね。

歌手や芸能人というのは、歌が上手いことと、ライブに集客できるかどうかというのは、必ずしも正比例しないと思うのです。

スマップや東方神起よりも、こと歌唱力という点においては、上手い人というのはいると思うのです。

それは、まるで、「経営におけるノウハウや知識をどれだけ知っているか?」ということと、「実際に集客できる人気者かどうか?」が別問題であることと同義です。

そういう意味では、個人の市場価値を高める上で、タレントビジネスというのは、十分に参考にする対象ではないでしょうか?

私はこっそり興味を持っています(笑)。

 

 苦しんだ分の楽しみな予感

まぁ、長々と書いてきました。

今回は結構必死でした(笑)。

実を言うと、頭の中では整理できていたつもりですが、なかなか明文化ができなくて、

この年末年始に、釈然としない気持ちに対して、相当考えてたんですね(苦笑)。

やっとここまで、文字にしてみるということで自分用に纏めてみたという感じです。

 

自分の仕事において考えてみましたが、「独自化」「オリジナル」という意味では、これからの中小零細個人の全ての業種業態に置き換えができることではないか?と自らに期待しています(笑)。

 

今年は、上記項目を中心にして、セミナーや社内研修やコンサルティングで、アホな実験を一緒にしながら(苦笑)、実践的に進めていけたらきっと面白いんじゃないかなぁ、と思っています。

時々、私のブログを読まれた方が、「あんなことまで書いてしまっていいのですか?パクられませんか?」と言われることがありますが(笑)、

でも、ここまで私が書いてきたことが合っているとしたら、これを読んで言葉を覚えたくらいでは、それは単なる知識ですから、何の価値もないということになりますから、全然問題ありません(笑)。

実際に一緒にやってみないと、オリジナルには成り得ないのです。

もう一つは、私の書いたこんな長文の戯言など、誰も見てないだろうし(笑)、

読んだところで、私の稚拙な文章力では、キチンと伝わるかどうかの保障もないわけで(笑)、

それを言ったら、もう元も子もないのでしょうけど(笑)。

年末年始、ちょっと苦しんだ分、今年が楽しみになってきました。

 

実は、明文化できるかどうかかなり考えていた(笑)。
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体験・経験以上の価値は出せないのだろうね

先日の‪勉強会の会場の雰囲気や、眩しいライトの感じが、見覚えあるのはなんでなんだろう?と思ってたけど、

以前観た時のプロレス会場だったことを思い出して(笑)、それだけのことで、その場に立って参加している気持ちが、そこまでの時間よりぐっと高まりました(笑)。‬

 

記憶というのは、五感によって無意識のうちに様々な要素として記憶に刻まれているわけで、

それは、日頃はしまってあるのだろうけど、ある瞬間にまるでスイッチが入ったように鮮明に蘇り、

そして、それは、本来の目的に対するモチベーションをも変えたり、共感を生んだりすることは多々あります。

 

そういう意味で、「場」の概念や、設定というのはとても大切だと思っています。

今回は、当然たまたま私が勝手にそう感じただけですが(笑)、

もし自分が、発信する側なら、その場が店舗であれ、ライブであれ、

自分の世界観を体現できたり、よい意味で相手を自分のペースに巻き込むことを前提としたり、

そういうことを意図することが、「らしく」伝えるという点においてとても重要なんだろうな、と思うのでした。

 

そう考えると、子供の頃に体験・経験した心躍ったことや、その理由を自分なりに理解しておくことは、

独自のビジネスを展開していく上で、改めて大事なのでしょうね。

 

まぁ、ただ、その日の私の場合は、そのおかげで当時のプロレス会場での想い出だけで、頭いっぱいになってしまって、

本来の勉強会の意図はどっかに行ってしまったのだから、それは本末転倒になってしまったわけですが(苦笑)。

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