憧れと絶望のファッション哲学・77「レーシング・レザージャケット」

シャープなスタイルの自分でいたい、と思い、
タイト目なサイジングのレザージャケットを着て、不摂生でだらしない自らを強制することで、
だらしない肉体を改善しようと目論んで、購入する時は固く決意するのだけど、
月日が経って、着用する度に、
大沢誉志幸さんの名曲
「そして僕は途方に暮れる」
のイントロとサビの歌詞が脳内を繰り返す(苦笑)。
むしろ、毎日が「今日も僕は途方に暮れている」(苦笑)。
使えるようになっても、つまらん奴はつまらん問題(苦笑)
「Sora」が4/26で使えなくなるということで、次はどれで動画作ろうかなぁ、と思いながら、
新しいAIの新しい使い方や機能を使えるようになったところで、
最初は、それ使って、何かやって、何でもできるような気になるんだけど、
すぐにアイデアが枯渇してやらなくなるので、
使えるようになった機能を使って、次から次へと、長期間やり続けられるだけのアイデアや思考はどうしたら創れるのだろう?の方に興味があるのだけど、
考えてみたら、この構造は、
パソコンで出た時も、メールが使えるようになった時も、携帯電話出た時も、スマホが出た時も、SNSが出た時も、そう思ってて、
いつの時代も、その時代の機能を使いこなせる人や、それを教える人はどれだけでもいたけど、
その機能が使えるようになったことで、圧倒的な成果まで出せる人までは、そんなにいなくて、というか、
何やっても成果まで出せる人は、結局いつも一緒で、
要するに、できるは人は、いつの時代も、何が出ても、できて、
ダメな人は、何使っても、何やってもダメという、絶望的とも言えるその違いはどこから来るのか?
という問題に長い間興味を持ってきたけど、
60年生きても明確になっていないということは、それが分かることすらもできないダメな奴なんだな、という自覚はそろそろ持って、
潔く、何やってもダメな奴という自覚は持った方がいいような気がしながら、
あぁ、それでも、いつの時代も、何使っても、面白いことをドカバカ出せるような人になりたい(苦笑)。
使えるようになったところで、そもそも何を出したいかが枯渇しないだけの面白い人生かどうかの方が大事なんだよなぁ。
憧れと絶望のファッション哲学・76「ナイロン・コーチジャケット」


春ですね。雨ですね。
この時期は、一枚革のレザージャケットが着たいのだけど、軟弱者はレザーが雨で濡れるのが嫌だから(苦笑)、
こういう時はナイロンジャケットが重宝します。
せっかくだから、桜の花を見ようと公園を横切ったら、雨で予想以上にぬかるんだ土で、ヌルっグチャっとなって、
スエードブーツに泥が付いて、うわっ、ってなったけど、
そもそもそういう時用のブーツなのに、そうなるってことは、やっぱり軟弱者だと思いました(苦笑)。