人の事を心配する前に、誰よりも自分を心配した方がいい(苦笑)
「それは間違っている。」「そんなんじゃダメだ。」「そのやり方は違う。」「君はもっとこうすべきだ。」「お前のことを思って言ってるんだ。」
人は、他人に貢献することによって、自分には価値があると自覚したい本能や、自分が満たされたい欲求や、自分が有能と認められたい泥沼から抜け出すことはできないのか?
「他人の事はいいから、世界中で自分の事一番心配しろよ。」
ほとんどの人はこれに当てはまる(笑)。
私など、その権化だから、だから、私は、他人のことを心配する余裕などないし、どうでもいい(笑)。
「実績のない奴は喋るな。」
「頼まれてもいないのに教えたいなら、私に教えさせてくださいと頭を下げて頼め。」
「自分を満たすために他人を道具のように使うな。」
「周りがそんなにバカだと思うなら、とっとと縁を切って一人でやれ。」
以前、随所で受けた、あまりに痛烈で痛快で残酷で正しく、故に言わない言葉が胸に突き刺さっている。
憧れと絶望のファッション哲学・79「A-2」

今日の名古屋くらいの気温が、個人的にはTシャツの上に「Aー2」が羽織りたくなる日和なんだけど、
そういう日は、雨率が高くて、今日も雨だから外に出れない(苦笑)。
スティーブ・マックイーンに影響を受けた世代としては、Aー2を着るときは映画「大脱走」のお決まりのポーズがしたくなる(笑)。
「自分の話と感情『だけ』を聞いて欲しい人」への唯一の対処法
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コミュニケーションのことを、
「自分の話を一方的に聞いてもらうこと」
あるいは、
「自分の感情をまき散らして受け取ってもらうこと」
と認識して、他人の命を道具のように扱う人はいます。
できるだけ避けたいですが、人との関りが増えるに比例して、出会ってしまうことは結構な確率であります。
それは、出会って関わってみないと、そういう人かどうかは分からないので、対処法は、出会ってしまったらどうするか?しかありません。
そういう人の傾向は、様々な場面で認識することはあったり、どういう場所に生息率が高いかはあって、ここでは細かくは割愛しますが、
最大の問題は、そういう人は、その人なりに自分は普通で、むしろ正しいとその人なりに自覚していること、すなわち悪気などないことです。
こちら側としての基本は、関わっている最中に自分が違和感を持ったり、関わった後に嫌な気分が残ったりするといったような、そういう時の自分の感情を信じていい、ということだと思っています。
唯一の方法は、「逃げる」しかありません。
出会ってしまったら、とにかく意図して全力で逃げましょう。
逃げるとは、「距離」「時間」「回数」を、できる限り、可能な限り少なくする意図と行動をすることです。
そういう人が、そうなってしまった理由が、
生まれつきの脳も含めた身体的な問題なのか、生まれた後の後天的な影響によるものかはどうであれ、
へたに同情したり、優しさ故に共感してあげたりすると、
自分の命を、ブラックホールのように限りなく奪われるだけなので、
もし、自分の命=時間を大事にしたいなら、できる限り関わらないことしか打ち手はありません。
最大の難関は、あの人は良いところもある、とか、反面教師としての価値がある、とか、自分で自分の事を冷たい人間であってはいけない、とか、あの人の為に諦めてはいけない、これも自分の人生に必要な課題だ、といったように、
関わってしまう自分を肯定化したり、あるいは、関わらない自分を責めてしまったり、いい人でいたい気持ちを捨てられないことです。
そういう気持ちは一般に大切かも知れませんが、一般とは別の次元で生きてしまっている人も確実に存在していて、それは一般とは違います。
「無知」は「知識」を与えれば解決できますし、
「無能」は「知識と経験」を与えれば解決できますが、
「幼稚」は解決の方法がありません。
プロの医者でも無理な病は、素人の自分では当然無理、されは私の問題ではないくらいに割り切って、自分の限られた人生の時間に向かった方がいいと思っています。
無理なものは無理です。
私にはできないこともある、と謙虚になって、逃げることが大事です。
そう考えるようになって、私は世の中のほとんどの人から逃げられていたのだと、やっと気づけた最近です(苦笑)。