精度よりも、どれくらのバカでいるのが都合がいいのか?(苦笑)
AIのアウトプットは正論過ぎて、人間らしさを感じられないので、人間らしさをいかに組み込めるか?
という話はよく聞くのだけど、
「人間らしさ」というのを、「ちょっと不完全でドジで完璧じゃない」という、
いわゆる、ちょっと「おバカ」だった方が可愛げがある、
ということになる。
ただ、「ちょっとおバカ」は可愛いで済むうちはいいけど、
じゃあ、「すげぇバカ」までいくと、使えない腹が立つ対象になる(笑)。
要するに、自分にとって都合が良ければそれでいい相手ということになるので、
だとすると、自分くらいのバカでいて欲しいということなので、
それはそれで困る(苦笑)。
バカな社長が、自分のコントロールし易い気に入った社員を欲っして周りに置いた結果バカしかいなくて、
なんでウチにはバカしかいないんだ!と嘆く泥沼と、本質は同じにならねーか?(苦笑)。
憧れと絶望のファッション哲学・73「カスタム・ライダースジャケット」

落ち着いた粋な大人になりたい、という想いと、
少年の頃の気持ちをずっと持ち続けていたい、という気持ちが同居したまま時間が過ぎた結果、
それは、単に現実逃避つ続ける、単なる子供なだけだったと最近気づいた(笑)。
それはレザージャケットに聞いてくれ(笑)。
AIに対して自分が教え込んだら自分と同じくらいバカになるのではないか?(苦笑)
「AIに教え込め」とか「AIを教育しろ」「AIを自分用にカスタムしろ」と言うのを聞いて、
なるほど、そうした方がいいのか、と思ったけど、
私がAIに私を教えて、私の都合の良いように何かを教えるということは、
私に近づくということになるので、
それはバカに近づくと気づいたので、やらない(苦笑)。
教える側がバカだと、教えられた方はバカ以下にしかならない、というのは間違っているのだろうか?(苦笑)。
「情報を与える」ことと、「教える」ということは違う。
人は面白い。
人であれ機械であれ、相手が優秀だと、自分が教えた、自分が鍛えたと言いたがるし、
自分が関わった相手がバカだと、相手がバカだと相手のせいにする(笑)。
自分には価値がある、と認識したいという本能の呪縛から、一生逃れることはできないのか?(苦笑)