私の考える「プロ」と「無職」の圧倒的違い

先日の新大阪での講演風景です。

なんか必死で伝えている時だと思います(笑)。

アホ画像全開の最近の中で、なんか講演風景は久しぶりだな(笑)。

 

 

今の立場になって、講演や業績アップ支援のお仕事のご依頼にお応えさせて頂きながら、4年以上が経ちました。

私は自分のことを、プロの講演家、もしくはプロの経営コンサルタントと自覚したことはありません。

 

まぁ、プロの定義とは何か?にもよる訳で、その定義の違いによっては、

「ツヴォイさんは自分のことを無職のプータローと自称はしているけど、

でも、やってることは、もう立派なプロのコンサルタントじゃないですか?」

と仰る方もいます。

 

だとするとして、仮に、今の私をプロと認識したとしましょう。

その場合、年齢は52歳ながら(笑)、コンサルタントとしては、まだ駆け出しのヒヨッコのペーペーということになります。

 

プロのコンサルタントとして長年のキャリアを持ちながら、かつ第一線で活躍されている売れっ子で有名な方達と、私を比較した場合、

何がどうと言い切れるものではありませんが、確実に圧倒差があるのだと思っています。

 

無職というのを果たして転職といっていいのかどうかは分かりませんが(笑)、

どの職業であれ、全く違う業種から転職してきたばかりの人と、

その道で長年に渡って第一線で活躍してきた方とは、

こと専門的なスキルという点において、圧倒差があるのは、ごくごく当然のことだと思うのです。

 

その漠然として何となく感じている圧倒差を自分の中で感じるのは、一体何が要因なのか?と、考えることは結構あります。

 

色々とある中で、私なりに最も大きいと思える要因を一つあげるとするなら、

(後で2つ目も出てくるけど(苦笑))、

ん〜、誤解を招く可能性が十分あるので、誤解を恐れずに書くのですが、

「プロ中のプロ」のコンサルタントというのは、喋っていることが「リアルに感じる」ということです。

 

プロではありませんよ。「プロ中のプロ」です。

そして、最も重要なのは「リアル」ではなく、「リアルに感じる」ということです。

 

「リアルに感じる」というのは

① リアルなことを、リアルに伝えている

② リアルでないことを、まるでリアルに伝えている

という2つがあります。

 

ということは、言っていることが、

① 本当のリアルであれ、

② 実は自分の経験則に基づいていない(悪く言うならウソ)ことであれ、

聞いている側がリアルと感じて、影響されて、何かしらの行動に移して、成果をあげれば、美学の問題は別として、極論としてはそれでいい。

そういう意味で、リアルであろうとなかろうと、聞いている側が「リアルに感じれば」いいということです。

 

人とは不思議なもので、他人が言っていることを、透かして見る、という力を持っている生き物だと思うのです。

ウソを見抜く能力とでもいうのでしょうか?

自分ができるかどうかはさておき、相手がリアル(本当の本物)かどうかだけは簡単に見抜いてしまう能力だけは持っているように思うのです。

特に人前で何かを伝えようとする仕事(ほとんどの仕事がそうか(笑))に対しては、

本物かウソなのか、一方的に見抜く不思議な力を持っているように思うのです。

 

例えばです。

私はアパレルメーカーに勤めている時に、パリコレブランド(簡単に言うと高級婦人服)の営業でした。

いくつかの「売り」文句の中に、

「ウチの服は立体裁断ですから、着心地がいい。」

というのがありました。

でも、ちょっと待てよ、と。

「着心地がいい」なんてぇのは、実際に着てみた人の評価のはずでしょ?(笑)

でも、デザイナーも男性(かなり女性が入っていましたが(苦笑))で、営業スタッフのほとんどが男性でした。

「なんで、着たこともない奴がそんなこと言えるんだ?おかしいだろ?」

と理屈の上ではそうなります(苦笑)。

実際に、一年目そこいらの私が「着心地がいい」と言っても、聞いた相手からは、どこそに「なんで、あんたみたいなペーペーがそんなこと言えるのよ?根拠は?」みたいな雰囲気が漂うのを何度も感じたりしました(笑)。

でも、でもですよ、同じ男性なのに、デザイナー本人や、キャリアのある先輩が言うと、まるであっさり「そうよねぇ〜」みたいになったりするのです(笑)。

同じ男性が、同じ言葉を言っても、聞いた相手が、その言葉を信じたり、信じなかったりするこの差は一体何なのか?ということ。

例えば、そういうことです。

 

あるいは、映画やテレビのドラマを見ていても、

「この人、演技下手ねぇ。演技だってバレバレに分かっちゃうじゃない。」

となる場合もあれば、

そもそも映画やドラマなんてのは作り物でウソをついているのが前提で、そんなことは頭では分かっているのに、

感情移入して、感動してしまって、まるで自分事のように涙してしまい、挙句、人生に大きな影響まで及ぼさせたりする俳優さんもいます。

その違いは何なのか?ということです。

 

人は、相手のことを一方的に見抜く生き物です。

そういう不思議な能力を持っていると私は思うのです。

特に、人前で何かをする人には、とてもカラいのです。

そういうことです。

 

あと、しつこいようですが(苦笑)、

キャバクラ嬢で、この娘はプロ中のプロだな、と思った娘がいて、

私の友人は「あの娘とは、本当に恋愛しているんだよ。たまたま出会ったのがキャバクラだっただけで、あの娘は、仕事ではなくて本当に俺のことを好きでいてくれるんだ。」と、最後の最後まで信じ切らせている娘がいました。

これもスゴイです(笑)。

プロ中のプロだな、と。

そういうことです(笑)。

 

やっと話を戻しますが(笑)、では、プロ中のプロのコンサルタントとは何なのか?です。

私も、多くの方々に教えを頂く中で、影響を強く受けたコンサルタントの先生はいて、

何故かというと、その人の話に「リアル」を感じたからです。

この人の話は、机上論や理屈の世界ではなく、自分の経験則に基づいた本当の本物を感じて、信じたからです。

 

実は、ここが大きなポイントで、

正確には、私が私の中でリアルだと認識しているだけで、本当はリアルかどうかは、実際のところは私には分かってなんかいないのです。

そうですよね?(笑)

伝えた人が、本当にリアルに経験したことかどうかというのは、完璧な立証など分からないのです(苦笑)。

立証のしようもないし、でも、私にとっては、もはやリアルであろうとなかろうとどうでもよくて(笑)、

私が私の中で、私にはリアルに「伝わった」と確信していることの方が大事だということです。

 

これ、前記したアパレルブランドの「売り」の事例と同義じゃないか?と思うのです。

着心地を体験したわけでもないのに、「着心地がいい」という言葉に影響力があるということは、

聞いた側にとっては、それがリアルかどうかの問題ではなく、リアルだと伝わるか?ということのほうが大事であり、

結果、購入して、購入した人が幸せになれば、それはそれでいいとも言えたりします。

 

そう考えると、コンサルタント(もしかしたら全ての仕事において)というのは、

俳優業とか、役者とか、タレント業とかと、本質的には同義ではないか?と思うのですね。

 

そうすると、私の中で漠然としていた「圧倒差」というものの正体が見えてくるのです。

プロ中のプロのコンサルタントと、駆け出しコンサルタントの圧倒差というのは、

置き換えると、

有名ハリウッド映画俳優と、学芸会で頑張った学生と同じ(笑)。

 

私個人の事例でいってみれば、

アントニオ猪木と、学生プロレスをやっているツヴォイ、であり、

スティーブ・マックイーンと、マックイーンと同じコスプレしてその気になっているツヴォイ(笑)、

の差ということになります。

どう考えても、もう、圧倒差どころの騒ぎではありませんよね(苦笑)。

 

ところがです。

こここらが問題なのですが、私は、有名コンサルタントの方ほどではないにせよ、

決して安いとは言えない、もしかしたら高額とも言えるギャラは頂いて、お仕事をさせて頂いているということです。

 

私は学生プロレスはやっていましたが、金銭的報酬はもらったことはありません。

学芸会で主役を演じたことはありますが、当然ながらギャラは頂いていません(笑)。

それが、当然なわけです。

 

でも、いま私は、いまやっていることをお仕事としてお受けし、しっかりと報酬を頂いているわけです。

プロ中のプロとされる方と、同様にお金を頂いている。

その連続や継続で現在の生活もさせて頂いているし、家族も養っている。

額の違いはあろうけど、一丁前に、プロの方達と同じような状況になっていると言えば、なっているのです。

お相手からお金を頂いているのだから、それに見合う、あるいはそれ以上の何かを提供せねば、それはビジネスにはなりません。

ならば、ペーペーの私に残された、できることは何か?

残るは「必死さ」しか有りません。

「必死になって伝える」しかありません。

「理屈」よりも「感情」です。

「プロが長年かけて培ってきた技」を出そうとすることではなく「プロ並みに伝わる」ことです。

「上手い」ことより「伝わる」ことです、

それは、本当に経験して、心が動いて、何に気づき、何を得たのか?ということを、本気で伝えることです。

「感情」で伝えるには、実際に「感情」が動いたことを、本当に本当にそうだったんだということを伝えるのが一番いいに決まっています。

 

すなわち、前記した2つのうちの ① 。

「リアルなことを、リアルに伝える」

しかない。

 

根本にこれがないと、何も伝わらないと思っているし、ご依頼頂いた方々への最低限のマナーだと思うし、

肝心の「伝える」=「伝わる」になる自信がありません。

この自信のなさが、まだプロにはなり切れていない、という自覚を生んでいるとも言えます。

逆に「リアルをリアルに伝える」という、この根本さえ基本に明確にブレずにあれば、

あとは、できるだけ楽しくしよう、とか、どんな衣装でやろう、とか、分かりやすい事例と本質論をどう編集をかけて置きかえよう、とか、オープニング映像とBGMはどうしよう、進め方はグタグタがいいな、とかいった演出や伝え方の工夫はできるということです。

 

でも、これならできます。

人様に「教える」なんてことは、とてもできないけれど、でも、実際にやってきたことを「伝える」ことなら、

それを望んで下さる方がいてくれるなら、させて頂ける自負はあります。

何しろ、実際に、悩んで苦しんで、考えて、実際に行動してみて、多くの失敗と、少しの成果の事例数だけはあるのですから。

これなら、私にもできる自信はあるのです。

そして、これなら、私の(これでも)一人の人としての貴重な血肉であることに変わりはないのだから、

ディスカウントなんぞしてたまるか、こちとら人生まるごと全部出すんだから、そこまで安くはねーぞ、という気持ちになれます。

(ただし、それを購入する適正価格として必要とするかどうかを最終決めるのは、お相手ですからね(苦笑)。)

 

 

 

ここまで書いたら、

「それなら、もう立派なプロじゃないか?」

となるかも知れません。

 

でも、もう一つ、決定的な圧倒差はあると思っています。

プロ中のプロの方は、影響を受けた側が、

「あれくらいなら自分にもできるんじゃないか?」

と勘違いさせる力があると思うのです。

あんなに自然で、普通に生きてて、ただ面白ろおかしく喋るだけで、お金儲けまでできるなんて、なんて素敵なんだろう、私もやりたい、

と思わせる力、俺でも、私でも、ちょっと頑張って勉強して、努力すれば、なれるんじゃないか?という

「普遍的」とも言える自然さを感じさせてしまう力があります。

プロで継続していくということは、その人にしか絶対にできない「独自性」があるに決まっているのに、

誰でもできそうに思わせるという、「独自性」と「普遍性」の組み合わせができています。

そんな甘いもんじゃねーだろ、と片方では思いつつ、でも頑張ればできるかもしれないという影響力を持っています。

 

それが、私にはありません。

皆無に等しいといってもいい。

要するに「それは、ツヴォイさんだからできるんでしょ?特別だからできたんでしょ?」となりやすい。

私がどんなに、誰にだってできることだ、と意図して伝えたり、強調したとしても、

そうは伝わっていない、ということです。

 

「プロ中のプロの方」は、相手が勘違いであれ、本質理解であれ、何にせよ、行動を起こさせている場合が多いのです。

それは、いらぬ肩の力が抜けていたり、ごくごく自然体であったり、奇をてらっていなかったり、弱いところも含めて人間味が溢れていたり、

すなわち「独自性」極まりないことをやっているのに、「普遍的」が醸し出されるという、本来なら二律背反するようなことが組み合わさってて、

そう感じさせる力がある。

単純に、憧れられる存在。

一般の人でも、ちょっと頑張れば手が届くんじゃないか?と思わせて、故に実際に行動に移させる、あるいはマネしたくなる存在なんじゃないか?と。

そうなると、どこぞに「ツヴォイさんだからできるんでしょ?」と、まだ思わせてしまう私は、致命的とも言えると思うのですね。

 

全てのビジネススキルの根本は、私は「自分以外の誰かを動機付けさせることができるかどうか」だと偉そうに頭だけでは思ってはいるものの、

実際にできているのか?といえば、まだできていないのです。

 

もしかしたら、私自身が、どこかで「自分は特別な存在だ。」と、洒落とか演出ではなくて、本気でそう思っているのかもしれないから、そういうことになってるのかもしれないな、とも自らに疑心暗鬼になるのです(苦笑)。

 

影響を受けた側が、何となく「やる気」になることはあっても、具体的に動き出さなければ、何も変わらないのと同じです。

「実際に行動するか、しないか」が、プロとしての境目だとすると、

これは、プロの伝え手としては、あまりにも圧倒差です。

 

上記、2つの圧倒差に対する自分なりの明快な答えが出ていないが故、

よって、まだ、プロの講演家やコンサルタントの自覚はないとなります。

 

しかし、まぁ、こうして、標榜する自分なりの「プロ中のプロのコンサルタント」というものの定義が明確になってきたり、

そうなる為に解決すべき課題が見えてきていること、

そして、なんだかんだ言って、こういうことを考えて、明文化しているということ自体、

もしかしたら、自分でも気づかぬうちに、プロというものに近づいているのかもしれませんし(笑)、

そういうことを考えていること自体、すでにプロなんだよ、と言われてしまったら、それはそれでプロというのかも知れませんけどね(苦笑)。

書きながら、そう思いました(笑)。

要は、自分の納得のハードルがどこなのか?という単なる意識の問題なだけかも知れません。

 

私は私で、何の売り込みも一切していないに関わらず、いま現在のお仕事のご依頼に対して、

精一杯、リアルをリアルに伝えていく中で、少しづつ少しづつ、大切な次の何かを見つけていくことができれば、

それはもうこの上ない幸せなのだと思っています。

 

次に何をやるのか何も決めずに前職を辞めてから、

こういうことを考えるに至る貴重な経験を、この期間させて頂いてきたから気づいたことはとても多く、

その機会をつくって頂き、かけがえのない経験をさせて頂いた皆様に、改めて感謝する次第です。

 

自分で自分をまとめる為に書いてきたこのクソ長文を、

最後に「ありがとうございます。」という気持ちで終われることが、

俺って結構素敵じゃん、と思えて、それがとても嬉しいです(笑)。

 

最後は自分の納得がどこにあるかなんだろうね。
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