全ての業種業態に共通するこれからの「需要」に対する仮説
それくらいは誰でも言えるリアル店舗の価値(苦笑)
実際にやってみれば分かることというのはあって、
見た目にカッチョ良くて「俺が着たらスゲェカッコイイんじゃないか?」と思ったライダースジャケットを着てみたら、
怪獣ジャミラ、あるいは、合体に失敗したゲッターロボになることがよく分かりました(笑)。
一人で「二人羽織り芸」やってるか、一人の人間に三人が入ってるみてーじゃないか(笑)。
こういう時に「ネットだけの見た目で注文しなくて良かった」とヒヤヒヤしたり、
「実際に体感できるリアル店舗があって良かった」と、表層としては思ったりします。
しますが、でも、それが「これからのリアル店舗の圧倒的価値」となるか?というとそうでもないわけで、
ネットで注文して、試着して、イメージと違っていたら返品OKなんてサービスは当然のようにあるし、
店頭で試着して気に入ったら、ネットで安く買うなんていう話は、小売業側からの課題としてすでに当たり前のように言われてるわけで、
私が感じたことなどパフォーマンスの高い店舗の価値としては成立しないわけです。
そもそも来客数が減っているのだから、試着の価値もへったくれもないわけで(笑)。
じゃあ、何が価値として成立するかのか?
じゃあ、何が価値と言えるのか?
私が客側として店舗に行く時のリアル店舗への期待は、
① 目的の商品・サービスを自分で体感したい
② 目的以外の価値を発見する楽しさや喜びを得たい
③ 赤の他人から、「チヤホヤ」されたり、「主役」にしてもらえたり、「存在を認めて」くれたり、「自分のこと」をちゃんと憶えてくれていたり理解してくれてて、「いい気分」になりたい(笑)
の三つ程度でしょうか?
特に、③ の価値はこれから最も大きな研究課題になってくるような気がしています。
それはすでに「接客」とか「サービス」と言われていないか?
商品にはない「接客・サービスが大事だ」と、一言で言ったりしますが、それも、消費者の価値観が多様化しているのだから、千差万別です。
洋服で言うなら、私の場合は、着こなしの提案とか、似合うとか似合わないとか、そのことそのものは実はどっちでもいい。
何だろうと、欲しいものは欲しいし、いらないものいらないわけで、大きなお世話くらいにしか思っていないですね。
似合わなくても、サイズが小さくても、色が似合っていなくても、もしかしたらコレクションとか、資料価値として欲しいという欲求かもしれないじゃんね。
でもね、「何が似合う」とか「これと合わせるといい」とか「こういうのもありますよ」とか、相手が一所懸命に自分のことを考えてくれて実際に動いてくれる行為に対して、とても気持ち良い感覚を得るというのはあるんですよ。
だって、そんなことは、日常の生活の中ではなかなかないでしょ(笑)。
人の「気持ち良さ」はどこにある?
自分ひとりだけにスポットを当ててくれて、他人が人生時間を使って主役にしてくるような場面は、日常の中でそんなにあるか?というとそんなにないでしょ(笑)。
自分のことをちゃんと憶えていてくれたり、顔を見たら笑顔でウェルカム満載の雰囲気を出してくれる場面なんて、日常の中でそうそうないでしょ(笑)?
そういう気持ちになるのが嬉しくて心地よくて、だから、また行きたくなって、その繰り返しするんじゃねーのか?と思うのです。
一般に生活しているほとんどの人が、「私はチヤホヤされている」とか、「私は多くの他人から求められている」「多くの人から必要とされている存在」と実感する場面はないそうですね。
だから、一番端的なのが、男はキャバクラに行って、お金を払って「チヤホヤ」されに行くらしいです(笑)。
あそこは、もうアホみたいに、気持よく「チヤホヤ」してくれますもんね(笑)。
商品ではなく「動機別」に考えてみる
あと、全てとは言いませんが「飲み会」ね(笑)。
何かっていうと、◯ ◯ 会 って名称で、例えば、新年会とか、クリスマス会とか、忘年会とか、その何が違うのか分かんないけど(笑)、やたら「飲み会」が大好きで、飲み会ばっかりやってる人がいて(笑)、
それが、やたら勉強になるとか、大事だとか、相手のことを知るのに最適な場だとか言うので、
いつも一緒に飲んでるA君が何を言ってたのか?とか、何を考えているのか?とか、あいつの本音は何なの?みたいなことを聞いたら、
要するに「知らない」の(笑)。
っていうか覚えてもいないの(笑)。
ってか、もっと言うと、自分が何を言ったかとか、どうしてやったとか、そういうことばっかりで、自分以外の人のことなんて、聞いてもいないし、覚えてもいないの(笑)。
そうか、も分かったのは、飲みの席で勉強になったと言える程のことがある人もいるけど、
自分の言いたいことや、日頃のうっぷんを晴らす場や、そこに一緒にいてくれる人が必要なわけで(笑)、
相手を楽しませているんじゃなくて、自分が一方的に楽しい場なわけね(笑)。
そりゃ、自分の言いたいこと言えて、相手が聞いてても聞いてなくても好きな主張を一方的にしても良くて(笑)、
少々のことやっても、酒の席だからと許してもらえる環境があって(笑)、
それも、「チヤホヤ」「主役」「全承認」だから、そりゃもう最高なわけで(笑)、
なんで、お酒飲むのがそんなに好きなら、家で一人でしこたま飲めばいいのに、と思ってたけど、
その欲求は家では得られんもんね(笑)。
わざわざ集まって、時間とお金使ってまで集まるだけの価値はある(笑)。
それを、コミュニケーションとか、本音で語り合うとか、勉強になる、とか言葉ではまぁ言えたりするから、肯定するにはそう言うわね(笑)。
なんで、そんなに、何かと飲み会やりたがるのか、最近になって、その価値は理解できたような気になってます(笑)。
日常では、誰も自分の話を聞いてくれないし、相手してくれないし、認めてくれてないと思ってたのね(笑)。
って、思える人もいるにはいます(笑)、
「する側」でいたいか、「される側」になりたいか
「チヤホヤ」されたかったら、他人が羨むほどの圧倒的実績を創って周りから人が集まって来たり放っておいても依頼がくる状態になるか、
お金を払って「チヤホヤ」される環境に行って錯覚させてもらうか(笑)、どっちかでしょうね。
どっちが良いか悪いかは私は知らんけど(笑)、どっちでいたいか?というのは自分で決めて、決めた方へ向かって努力する権利は誰もが持っていて、それは平等だと思います(笑)。
まぁ、でも、そう考えると、現代社会において、最も需要があるのは「チヤホヤしてもらえる」「主役にさせてくれる」「全面的に認めてもらえる」「自分の素敵なところを自分以上に見つけてくれる」あたりなんじゃないか?という仮説が成り立って、
需要があるということは、それが最もビジネスとして成立しやすい時代なのではないか?と思うのです。
時流と共に変化していく人の欲求や渇望
これ、私は、どの業種業態においても共通することだと本気で思っていて、自分にも当てはまる研究課題だと思っています。
着こなしの提案そのものには価値がない、でも、着こなしの提案を自分以上に本気で考えてくれる他人がいることに価値がある。
このニュアンスの違い、ご理解いただけますかね?
見た目には変わらないのですよ。
見た目には、あそこのあの服が売れている、あのコンサルのネタや資料が流行っている、あのブランドが、あの商品が売れている、
そういう風にしか目に見えた現象としては認識されないということです。
自分の仕事に置き換えてみる
私の今のお仕事も面白いですよ。
私は私で、もちろん儲かりたいですよ(笑)。
でも、今の私の仕事は、他人のビジネスがもっと儲かったり、願いが叶ったり、楽しくなったり、嬉しくなったり、そういう相手の目的を実現するにはどうしたらいのか?ということを、毎日毎日必死で考えていると言えます。
うまく行くか行かないかは分からないけれど、とにかく考えることだけは時間かけて考えている。
時に、「なんで、赤の他人の俺が、あんたが自分事にならなきゃいけない自分のビジネスを、あんた以上に必死で考えてるんだよ!お前ももうちょっと真剣に考えろよ!?」と腹が経ってくるほどに(苦笑)考えている(笑)。
でもね、そうするとね、仕事が終わって、契約通りの金額を請求すると、私にお金が振り込まれるんですよ(笑)。
私が儲かっているんですよ(笑)。
結局は自分で決めるのに、何が欲しいのか?
経営者の方達のご相談に応じていく中で気づくのですが、
面白いことに、私が考えたことや、具体案なんて、お客である相手が決めることで、聞くだけは聞いてくれますが、実際ほとんどはその通りには動かないですね(笑)。
ほとんどの経営者は、結局自分のやりたいようにやって、それで成功したり、破滅したりするんですね。
だから、言ってみれば、私の対案する着こなしの提案だの、似合う似合わないだの、それと同義の業績アップ提案なんかよりも、
大事なのは、必死で自分のことを気にして、自分以上に自分のことを考えてくれている、すなわち「チヤホヤ」してくれていることに価値があるんじゃないか?と思えてくるのです(笑)。
そういうことを書いてるつもりなんですけど伝わってますかね?(苦笑)
ビジネスを考える時の、そもそもの出発点の変化が見えるか?
物販に関わる経営者のビジネスモデルの多くの認識は、「商品・サービス」が出発点となっています。
よって、商品やサービスを生産したり仕入れたりして、ストックして、ストックしたものを売る為に人を集めます。
スタートが「商品・サービス」ありきで、次に「顧客の為に」「顧客の喜びが」等、人への思考が順序となっています。
モノが欲しい人が多くて売れている時なら、ビジネスとしては、それでいいのでしょうが、
モノが独り歩きして売れる時代ではなくなった今、「人」からの発想に変えていかねばならない、程度のことは多くの人は何となく頭では分かってはいるのですが、
いざ、実際に一つ一つの具体的行動に落とし込もうとすると、やっぱり「商品」がスタートになってしまうというのが現実です。
それが、最も顕著に表れるのが会議ですね。
営業会議とか、幹部会議とか、販促会議とか、会議名はまぁ何でもいいんだけど、ほとんどの会議は商品会議になりますね。
要するに、何を作れば売れるのか?何を仕入れたら売れるのか?どうしたら我が社の商品は売れるのか?に終始します。
間違っても「人をチヤホヤするのにどうしたらいいのか?」「自分はどこでどんな風にされると気持ちよくなって、ついついそこに行きたくなるのか?」について真剣に会議する場面に出くわしません(笑)。
言葉は知っていても、思考はどこにあるのか?
「人は楽しいところに集まる」程度のことはすでに誰でも言えますが、人の価値観が多様化している今、「人とは誰のことで、何が楽しいのか?」を明確にして、行動まで起こすことを意図する会議はありません。
討議内容をそっちに振り切ろうとすると恐ろしく不安そうになったり、それで現実的に商品が売れるのか?と疑問が湧いてきて元に戻ります(笑)。
まぁ、多くの人は、簡単な即時効果を狙いたがりますからね。
言葉だけでは共有しきれない認識の違い
「人が集まるところからビジネスが発生して商品が生まれる」という発想と、
「商品があるところに人が集まる」というのは、ビジネスの考え方が全く違います。
全く違うのだけれど、目に見える現象としては、どちらも何かが売れているという結果だけだから、認識の仕方が難しいと言えば難しい。
ここが、やっかいなのでしょうね。
やっかいでいちいち自分と向き合って考えなきゃいけないし、○○観というのは、自分を露呈するから、タイムリミットが迫ってくると「取り敢えず、今できることは、これだから、とりあえずこれをやりましょう。」と、単価変更とか、販促をどうするか?みたいな話になって、
その「取り敢えず」の連続が1年・2年・3年と続いて、結局ずっと変わらずに今までのままを継続しているというのが実態でしょう。
会議で永遠に決まらないのだから、会社全体が永遠に動くわけがない(笑)。
こういうのって、目には見えない、頭の中の問題だったり、思考できるかどうかの問題だから、
分かる奴は分かるし、分からない奴は永遠に分からないんじゃないか?とも思えて、
でも、分かる奴っていうのは、コストゼロ円で業績アップできるわけで、これからどんどん優勝劣敗の差が着き始めるんじゃないかなぁ、と密かに思っています。
新たな価値を創出するのはどんな奴なのか?
そうやって考えると、見ていて、こいつは恐いなぁ、と思うのは、一言で言うと「人気者」ですね。
事業規模とか、社会的立場とか、そんなんよりも、ニートだろうがフリーターだろうが、学歴がどうだろうが、
人が自然と周りに集まってくる「人気者」ですね。
「売るモノを持っていたり、作ったりできる技術」よりも、先に「人が集まる力」を持っている奴がこれから一番とんでもない成功する可能性を持っていると思うんですね。
そうなるともう、とんでもないことになる。
だって、「人気者」かどうかって、そういう奴って子供の頃からそういう奴だったりして、
そういう資質って、お金をどんだけ払っても、長時間技術習得しても、得られない圧倒差がそもそもあるんじゃねーか?と思うわけですよ(苦笑)。
だから、できる奴はできて、ダメな奴は何やってもダメ、っていう元も子もねーじゃん、みたいな状況になる(苦笑)。
勘違いされる可能性があるから一応言っとくけど、
「会いたい人に会いに行くんだ」とか言って、自分から会いに行くんじゃなくて、会いたいと思われる方の奴のことですよ(笑)。
会いたい人に会いに行って、楽しい時間を過ごして、自分も人気者だと勘違いするのではなくて(笑)、会いたいと思われる方ですよ。
「コミュニティが大事だ」とか言って、自分で何か集まる企画して意図的に人を集めたり、自分からやたらと場を創って人を集めようとするんじゃなくて、勝手に周りから人が集まってきて、周りが勝手に企画するから、来てくれと言われる側の奴ですよ(笑)。
なんか知らんけど「引き」の多い奴。
そういう奴って、いるんですよ、時々(笑)。
そんなに大した実績とかもないし、すごい能力があるようにも思えないし、類まれな才能があるわけじゃないのに、誰からもどこからも来てくれ来てくれとやたら誘われて、なんか知らねーけどいる奴(笑)。
何しろ、とにかく会いたくなるような奴(笑)。
そういう奴の資質は、ちゃんと研究しておかないとヤベェなぁと思っています、密かに(笑)。
そういう意味では、学生や若者の、FacebookとかTwitterとかインスタグラムとかのSNSの友達とかフォロワーの数が多い奴への注目が集まっているという考えは合点がいきますね。
誰でも言っている言葉を、誰よりも考えてみる
「人が集まる所にビジネスが発生する」というのは、誰もが分かるのでしょうが、
自社の商品が先にあって、それを売る為に人を集めるのではなくて、
人が集まるのが先にあって、そこから商品・サービスが発生していく、
というのは、やることが全く違うわけで、そうなると既存の延長線上ではちょっと難しくなるから、
既存のビジネスがまだ何とかやれているうちに、全く違う新しい実験ができるかどうかになってきているような気がします。
店内試着した革ジャンアホ画像(苦笑)見ながら、思いつくままに書いてきましたが、
これからのビジネスは、「人が集まる」のは、どんな「人」か?における「人」スタート。
「人が集まる」ところはどんなところか?
人が欲する「人」とはどんな人か?
誰かの「チヤホヤ」「主役」「承認」ができる人が、大きなキーワードになるのではないか?と思うということです。
ちなみに、アホ画像を撮ってくれたのが店員さんで、
「マジで、面白いですよね~。似合わないけど、面白いですよね~。」
とか言ってくれて(笑)、
「これどうですか?これなんか着てみたら面白いんじゃないですか?」
とか言って(笑)、どんどん商品持って来てくれて、
「うわ~、さすが、ツヴォイさん、何着ても、なんとかしちゃいますもんね~。」
とか言われて(笑)、色んなポーズで写真撮ってくれて、
そんな風に「チヤホヤ」されて「主役」にしてくれて「全承認」してもらえたら、
私は、間違いなくまたあの店に行くどころか、入りびたって、結局なんか買い物するか、こういうの仕入れてと紐付きになる商品のリクエストするんだと思うんですよねぇ(笑)。
当然、そんなことしてくれなかったけど(苦笑)。
自分が「チヤホヤされたい人」は多いけど、他人を「チヤホヤできる人」は少ない。
自分が「主役になれる場」を好む人はいるけど、他人を「主役にできる」人は少ない。
自分が「認めて欲しい人」は多いけど、他人を「全面的に認めてあげられる」人は少ない。
自分が「楽しめる場」に行くのは好きだけど、他人の「楽しめる場」を創れる人は少ない。
この需要と供給のバランスの差は、現代ビジネスにおける圧倒的価値のヒントがあると思うのです。
「人間を知る」という研究課題は、死ぬまで続きそうです。