「ありのまま」と「ありのままを意図する」のは全く違う(笑)。
ネット上に出ていた、私の友人というか、友人の友人というか(笑)、知り合い程度というか(笑)、勉強会仲間というか、SNSで繋がってていつも興味深く拝見している方というか(笑)、
大体それくらいの方なんですけど(笑)、要するに私の知る限り、素敵な女性です(笑)。
普通にしてても、もちろんお綺麗で素敵な方なんですけど(笑)、
この状態を隠し撮りされてSNSに一方的に公開されて(笑)、この画像をネタにして周りの人達がこの画像を使ってブログ記事を書くようなムーブメントが起きても(笑)、
自分の美しい人生の一つとして認識されるような、人としての器も大きく内面も美しさ極まりない(笑)方です。
さて、一度見てしまったが最後、脳裏にこびりついて離れない強烈なインパクトを放つ、この画像(笑)を見た瞬間に、
とにもかくにも「ありのまま」であることが、どれほど人に与える影響が大きいのかと、私は改めて勉強させられます(笑)。
「ありのまま」と「ありのままを演じる」のは違うわけで、
「私は、『ありのまま』の自分でいたい。」と言っている時点で、「ありのままを意図している」わけだから、
果たしてそれは、「本当のありのまま」と言えるかどうかは、はなはだ疑問だと私は思っています(笑)。
だから、「ありのままの自分でいたい」という言葉に代表される、「私は私の道を進む」とか、「等身大の自分が大事」とか、「カッコつけずに行こうぜ」とか、
そういう言うは易しの言葉(笑)は、よく聞くし、私も言うけど、
そうなりたい願望とは裏腹に、果たして、それは、どこからどこまでをもってして言えるのか?という問題は、万人に当てはまります(苦笑)。
「ありのままの自分」という自分は、少なくとも「自分の知っている自分」の範囲であったり、
あるいは、他人から「あの人は、いつもありのままだね。」と思ってもらる範囲の自分であったり、
まぁ、その程度のような気がしています。
自分では「ありのまま」だと思っている行為を、
「あの人は、ありのままだね。」と認識する人もいれば、
「あの人は、奇をてらっていて気持ち悪いね。」「カッコつけてるね。」と認識する人もいて、
同じ情報でも、受け手側によってその認識は変わるわけですから、
「ありのまま」というのは、どこからどこまでの範疇のことの何をもってして「ありのまま」という言葉を使っているのか、「ありのまま」と言っている人に確認してみないと分からないし、
言っている本人もよく考えずに使っている場合がほとんどなわけで、
結局は、「ありのまま」とか「本当の自分」とか「自分らしさ」とか、そんなことは分からないのだから、考えること自体、実はどぉでも良いことなんじゃねーのか?まぁ言葉のコミュニケーションツール程度に適当に使っていればいいんじゃねーのか?というのが、今のところの私の結論だったわけですが、
そういう屁理屈極まりない私の結論を凌駕するほどに「ありのまま」を、この画像とこの方には突き付けられるのでした(笑)。
そういう意味で、私にとっては、改めて勉強させられたということになるのです(笑)。
この「ありのまま」という言葉は、使うのは自由なれど、相当に曖昧で面倒な言葉です。
例えば、異性から、
「ありのままの君でいていいんだよ。」「ありのままのあなたが好きよ。」
と言われたら、言われた方は、自分の何もかも全てを認めてくれているという認識になるわけで、それほど気持ちよく耳障りの良い言葉はないわけですね。
もしかしたら、待ち望んでいた天使が現れた、白馬に乗った王子様がやっと迎えに来てくれた、と夢描いてしまうかもしれません(苦笑)。
しかし、それは、正確に言うなら、
「君と出会ってから今日に至る範囲のありのままの君が好きだよ。」
ということであって、
まだ見ぬ、かつ予想だにしない「君」のことまでを包括しているわけではない、ということになります。
よって、この言葉を使って、相手に自分の意を伝え、相手の気持ちを引き寄せようとする場合は、相当の覚悟と器が必要でしょうね。
だって、何が飛び出てくるかなんて分からないわけだから(苦笑)。
逆に言われた方は、(今の段階ではという意味ね。)と受け取っておくべきですね。
その無責任極まりない、または、若気の至りというにはあまりにも迷惑な言葉(苦笑)を間に受けたが最後、
本当のホントに全身全霊・自分の何もかも、家族以外の誰にも見せたことのない、あるいは、家族でも知らないあなたの姿を見せても大丈夫だ、という幻想へと誘われます(苦笑)。
そうなってもかまいませんが、そうなったあなたの姿を、初めて見てしまった相手が、どうなるか?の方が問題なのです。
特に女性の方は、男性の、あまりに経験不足に関わらず、反比例して言葉だけを覚えてしまった状態の言葉を鵜呑みにしてはならない(笑)。
日頃をどんなに素敵に彩っていても、相手に合わせて素敵な自分を演じ切っていたとしても、
まさしく「ありのまま」というのは、画像のような状態をいうのであって(笑)、
それでもなお、そのお相手は、君の「ありのまま」を許容し、「ありのままの君でいいよ。」と本心の本心で神に誓ってでも言い切るであろう確信が、君にはあるだろうか?(笑)
思い出すのです。
大学生の頃に、化粧品屋さんに勤める憧れの素敵なお姉様が、住んでいたレオパレス赤羽に来てくれて、
そのまま、期待通りのお泊りになだれ込み状態になり、気持ちが高ぶっていく最中、シャワーを浴びる前に化粧を落として、
そして、笑顔で振り向いてくれたあの瞬間のことを(笑)。
確か、この時、「度肝抜く」という概念を初めて知ったような・・・(苦笑)。
た・・・確か、お姉様の気を引く為に、大学生のクソ若造が「君のありのままが一番素敵だと思うよ。」と言ってしまっていたような気が・・・・(笑)。
まぁ、そういう恥部丸出しの思い出は、えぇとしてですね(苦笑)、
そういった、ちょっと考えれば出てくるリスクもへったくれも(笑)、全て丸飲みして、
自分の全てをさらけ出せる、あるいは自分の意図しないところでさらけ出させられても(笑)、許容できてしまう彼女のような器を、私はまだ持ち合わせられていません(苦笑)。
一応、私も同じようにやってみようと、新幹線の中で試みこそはしましたが・・・・・・、
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そう、もうお分かりの通り、
この画像は「ありのままを意図している」だけで(笑)、本当の「ありのまま」ではないわけです(笑)。
こうしてみると、醸し出す本物の違いは、歴然となって現れてしまいます(苦笑)。
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どんなに取り繕っても本物には敵わないのだと思い知らされます(笑)。
迫力が違います(笑)。
醸し出される人生の深みが違います(笑)。
双方の画像を見ながら思うのですよ・・・・・。
私は、その場のノリで言っていなかったたろうか?
「ありのままの君が好きだと。」と(苦笑)。
私は、いちいち考えるのが面倒で、言ってこなかっただろうか?
「私はこのまま進んで行ってもいいのでしょうか?」と不安げに聞いてくる部下や若者に、「お前は今のまま、そのまま自信を持って行けばいい。」と(苦笑)。
私は、いい格好したいばかりにやってこなかっただろうか?
「本当に実践してきたリアルなことしか伝わらないのだから、経験していないことは言わない。」と言いながら、聞いた程度や、本で読んだ程度で、これは使えそうだと、さも自分がやったことのように言ってしまうようなことを(笑)。
私は、自分勝手に、誰にも干渉されずに、それでも他人承認だけは欲して言っていなかっただろうか?
「俺は、他人にどう言われようと、何を思われようと、ありのままの自分でいたいのさ。」などと、真顔で、クソ恥ずかしいことを平気で言ったりして(笑)。
他人には「ありのままでいいんだよ。」と言っておきながら、身内になればなるほど、自分の許容範囲を越えた幸せを堪能していると、
「それは、ダメだ。やめておけ。」と言っていないだろうか?(苦笑)
「ありのまま」という心地よい幻想と現実の狭間の中で、自分はいかにあるべきかを考えると共に、
反省をさせられてしまう貴重な一枚の流出画像(笑)に、愛と感謝と敬意を込めよう(笑)と思うのです。
ありがとう、〇〇〇 〇〇〇さん(笑)。
私も、格好つけずに、いらぬプライドなど捨て去り、全ての自分を出せるだけの器と自信が持てるまで頑張ります(笑)。
あなたの名前を出してはいけないという某コミュニティの規制が、あなたの紹介を阻み、本当に悔しい想いがある中で(笑)、
今度は、いつもの素敵な画像での紹介をすることを誓いながら・・・・・・(笑)。