立場と実績と言動と行動行為の密接な関係は考えたい
あのね、
人がね、
本気でアホなこと考えてね、
本気でアホなことやってみようとするとね、
20代の頃からかなぁ、そのあたりからね、
必ず誰か偉い人(正確に言うと偉くもないけど偉くいたい人か?(苦笑))がいてね、
「お前は、いつまでそんなことばっかりやってんだ?」
「君は、いくつまでそういうことをやってるつもりなんだ?」
とか怒ったり、呆れたように言ってくれる人がいてね、
聞かれるもんだからね、
「多分、死ぬまでです。」
って、時に冗談っぽく茶目っ気たっぷりに、
時に真面目にちょっと申し訳なさそうに、答えてるとね、
スンゲェ怒られたり、スンゲェ呆れられたりしたのね。
まぁ、案の定というか、十分予想はできたんだけどね(苦笑)。
私としては、それなりに真面目に考えて、答えてたつもりなんだけど、
まぁ、人が本気で言ってるのに、ふざけやがって、とか思われてたんじゃないか?とは思うのね。
でもね、
私としては、その人達に今言っときたいわけ。
とりあえず、52歳現在、まだ本気でやってるでしょ、と(苦笑)。
そういう人達のね、決まって言うことってね、
「継続は力なり」
とかね、
「有言実行」
とかね、そういう格言めいた言葉を別の場で好んで使ったり、示唆したり、散りばめてきたりするわけ。
でね、私としてはその人達に言っときたいわけ。
とりあえず今のところ、私は、継続しているし、有言実行はしていると(苦笑)。
あんたは、あれ以来、日常の中で継続していることはあるんかい?と(苦笑)
あんたは、どれだけの有言を実行いるのか?と(苦笑)。
決してふざけて答えてたわけじゃないんだよ。
とりあえず何も考えずに言い返してわけじゃないんだよ。
家業を廃業した時は、そんなことばっかりやってるから廃業するんだ、となってね、
前職で実績が付き始めて、株式上場した時は、やれ個性だ独自性はやっぱり大事なんだな、なんてね、
やってること自体は変わらんのに、その評価や価値観は、実績に応じて解釈が変わる程度で、モノ言ってたんか?と。
いや、その人なりに、親身になってくれたとか、心配してくれてたとかは十分に分かってはいるつもりですけどね、
かといって、思い通りの答えじゃないからといって、もんのすごく怒ったり、まるで終わったかのように呆れるような仕草したり、
そんなに正しい前提はどこにあったんですかね?
そんでね、
そういうのを思い出したり、考えたりする度に思うわけ。
もし、自分が、教育だ、育成だ、とそういう側にまわった時に、対象者に、それはいい、それはダメだ、とか、
果たして何を基準に自分は言えるんか?と。
仮に言えたとして、その人なりの回答が自分の価値観とは違っていた時に、どんな感情や態度でいるべきなのか?と。
あの頃に、私に言ってきてくれた人達は、言ってくれたことそのものには合点がいかないにせよ、
でも、こういうことをいちいち考えさせてくれる時間を与えてくれたのかもしれんなぁ、とは思うのです。
しかし、でも、こうして画像にして客観的に見れば、
確かにアホ丸出しで、自分でも自分になんか一言言いたくなることは確かだわな(苦笑)。
社会における実績や立場、それに準じた言動や行動行為は、密接に関係するだけに、それぞれにおいて、それぞれの適正はよくよく考えたいと、
こんな私でも(笑)時々思うわけです。