興味の前提は純朴な自分ごと(笑)
灼熱の名古屋です。
それは仕方ないとして、この灼熱の中、何でスーツ着てんだよ、俺は(笑)。
ドレスコードって何であるんでしょうかね?
何でこんなこと考えるかっていうと、それそのものに興味があるんじゃなくて、
ただ、自分が暑いから(笑)。
このクソ暑いのに、何でスーツなんか着ないといかんのかなぁ、嫌だなぁ、と(笑)。
興味とか探求の始まりってのは、そんなもんかなぁ、と思うのです。
ドレスコードそのものには興味がない。
でも、このクソ暑いのに、何でスーツやネクタイしてなきゃいかんのか?という、自分ごとには興味がある(笑)。
人の動機とか興味ってのは、そういうもんじゃないか?と思うのです。
よく、「お前達も私のように、何にでも興味を持って、云々・・・。」と多くの指導的立場の方や、先生や大人から言われていましたけど、
ハイハイと聞きながら「何にでも」って無理だろ?と、私は思ってたし、思うのです(笑)。
だって「何にでも」って全部だから、全部ってことは選択の前提がないわけで、
そうなると何に興味持てばいいのか分かんねー(笑)。
だから、何やっていいのか分かんねーとなる。
だから、私は、取り敢えずは、自分の動機を信じるのです。
何で、この店はこんなに楽しいと思えるのかなぁ?
何で、この映画はこんなに心打たれたのかなぁ?
何で、この人の話にはこんなに引き込まれるのかなぁ?
何で、大人は勉強しろ勉強しろって言うのかなぁ?
何で、同じこと言ってんのに、自分の言うことは聞かなくて、あの人の言うことは聞くのかなぁ?
何で、あいつはあんなにモテるのに、俺はモテないのかなぁ?
何で、あの人の立ち振る舞いはあんなに決まってカッコいいのかなぁ?
何で、このクソ暑いのにスーツなんぞ着なきゃいかんのかなぁ?(笑)
私は、そういう個人の我欲や欲求に満ち満ちた疑問が発生しない限りは、対象に興味は持てない。
興味がないことを、探求や研究はしない。
そう考えると、「興味の前提」というのは、
純朴な欲求とか我欲とか、不純極まりない私利私欲に満ちた動機とか、
そういう「個人」であり、属人的な要素にあると思うのです。
そうならないと、スーツやネクタイの起源や歴史を調べようなんて思わないもんなぁ。
興味を持って調べたことがあるから、もしスーツ着用の理由が、相手の対する「礼」や「マナー」ということであるとするなら、
スーツは正装ではなく、略式でもいいよ、ということなのかも知れませんね。
でもね、でもですよ。
どんな理由があろうとも、暑いもんは暑いっつーの(笑)。
嫌なもんは、嫌だっつーの(笑)。
嫌いなもんは、やっぱり嫌いだっつーの(笑)。
というわけで、どんなに探求しても研究しても、暑いからスーツ着たくないという気持ちは変わらないことにだけは確信が持てるのでした(笑)。
よって、まぁ、いいや、せめてスーツ姿もカッコいいじゃん、と思い込むとかして楽しみを見出すのです(笑)。
というわけで、スーツが嫌いでも、暑くても今日も頑張ります(苦笑)。