「価値と価値の交換」は全ての関係の前提
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最後に食べようと楽しみにして、大切に残しておいたイチゴショートケーキのイチゴを、さっと取って食べるような奴に、
ブン殴りたくなる衝動どころか、殺意さえ覚えます(苦笑)。
ただ、学生時代からの具体事例を、これでもかと書いているうちに(笑)、
殺意を覚える奴がこんなにもいたのか?(笑)と認識させられて(苦笑)、
裏を返せば、自分はなんて心が狭いのだろう?(笑)と自覚させられるわけで(苦笑)、
自分の小ささが嫌になって書くのをやめました(苦笑)。
意図的であれ、無意識であれ・・・・、
少しでも奪い取ってやろうとか、
ちょっとでも得しようと騙そうとしたり、
口では上手いことこちら側を思ってのように言ってるけど、結局は自分側のメリットだけ考えてるんでしょ?というのが透けて見えちゃうとか、
そういう、さもしい感じを相手に感じてしまうと、
私は意図的に距離を置くようにしてしまいます。
「全てのビジネスは価値と価値の交換である」
という原則論を、私なりに分かりやすく言うなら、
受け取りたい商品・サービスを受け取る代わりに、相手にお金を差し出すということです。
相手からお金が欲しければ、相手が望む商品・サービスを差し出すということです。
「価値と価値の交換」というのは、ビジネスのみならず、「全ての人間関係」にも同義なわけで、
何かを受け取る代わりに、何かを差し出す行為を継続していくことです。
そうやって、価値観の合う者同士でコミニティーや関係、あるいは顧客やファン、あるいは雇用関係というものができていくということだと思っています。
私も、何につけ、「交渉」というのはしますが、交渉と「剥奪」は全く違います。
剥奪は、自分から何も差し出すことなく、一方的に奪い取ることです。
剥奪する側にも様々な事情や考え方があるのかもしれませんが、私は、一方的に奪われるのは、まっぴらゴメンだし、
そういうことをいちいち説明しないといけない相手は、説明する時間も奪われるわけで、それが物凄く面倒なわけで、できるだけ関わらない方へ関わらない方へと意図するようにします。
本当は、際限なく心が広くて、金銭的にも余裕ありまくりで、
相手がどんなんであれドンドン分け与え続けられるような人ならいいのでしょうが、
私は昔からどんなに月日が経っても、そうはなれなくて(苦笑)、昔から殺意すら覚える価値観は変わらないのだから(苦笑)、
ということは、要するに、私が心の狭い人間なんだろうな、と自覚しています(苦笑)。
こういう価値観がそもそも私の中にあるから、
儲かっている事業や商品を探すこと「だけ」しようとするビジネス観や、
やりもしないのに他人の言葉の上っ面だけ使ったり、他人の事例をさも自分のことのように吹聴してしまう無能丸出しのコンサルタントとか、
頼んでもいないし欲しくもない情報を、一方的に喋っといて、後から金よこせなんて言う泥棒みたいな友達面した奴とか、
自分でよく考えることや行動することはせずに、労せず正解だけ求めてくるような意図とか、
そういうことに、私は、無性に嫌悪感を心の中で感じてしまうのだろうと思います。
実際に、他人のイチゴショートケーキのイチゴだけをパクっては食べ続けていたような人達は、
いま、すごく困っているように見えます。
奪いさえすれば何とかなるイチゴはもうない時代とも言えるのでしょうね。
一見効率的に思える事業スタートのあり方というのは、それだけやっていると、大切な思考性を失って、
思考性ばかりは、すぐになんとかなるものではないですから、そりゃ、困って当然なんでしょうけどね(笑)。
そんな背景から、私がいま、最も関心があることは、現代ビジネスにおける価値創造とは何か?であり、その思考性とは何なのだろう?ということです。
その仮説を、あれこれ色んな角度から考えたり調べたりする時間が楽しいですね。
自信をもって公開できるまで探求してみたいと思っています。
てなことを、御堂筋にあった銅像が持っている鳩を、一方的に奪い取ろうとしてもできなかった(苦笑)現実を目の当たりにしながら、フと思うのでした(笑)。