目には見えないけど本当は見えるものはあるんだよ
朝からの雨模様で、今日の新幹線の窓からの富士山は見れないことは分かっていたけど・・・・、
毎回毎回、こうまでバカの一つおぼえ(苦笑)のように、車窓からの富士山ばっかり撮ってると(笑)、
富士山が見えなくても、どこに富士山があるのか分かるようになってきました(笑)。
確実に、画像の雲の向こうにはちゃんと富士山がいるばすです(笑)。
ひょんなことから、こういうことがあると、
「見えないものは見える」
という理解し難い形容は、理解できたりしますね。
まぁ、富士山は「ある」と分かっているから確信は持てるのだけど(笑)、
でも、まぁ、目には見えないけれど、確実に存在するといものはあって、
そういうものが見えるような、物事の本質を見る心の目を持てるかどうかというのは、とても大事何だろうな、と、フと思うのでした。
私にそういう心の目を持てているかどうかは別として、持っていたいな、とはいつも思うのです。
そういえば、
小学5年生の頃、まだ目が見えない赤ちゃんがギャンギャン泣いてたものだから、ダッコしてあげても全然泣き止まなくて、
その子のお母さんが抱いたらピタリと泣き止んだことがあったっけなぁ。
「まだ目も見えないのに、お母さんだって、なんで分かるのかなぁ?」
と聞いたら、
「分かるんだよ。」
とその子の代わりに母親が答えてくれたことがあったっけなぁ。
その時は、何で分かるの?とまでは聞かなかったけど(笑)、
人というのは皆、見えないものが見える目を、本来は持って生まれてきていて、
いつの間にか、目に見えるものしか分からなくなっていくのかもしれないな、
とも思うのです。
自分も持てていて、誰もが本当は持っているのだと信じています。