変わるものと変わらないものの両方共受け入れるのだね(苦笑)
20歳過ぎの頃の写真(一応左(苦笑))と、最近の50歳過ぎの画像。
久しぶりに出てきた昔の写真を見ながら、こういうどうしようもない自分というものを目の当たりにするにつけ(苦笑)、
人というのは変わっていくものと、何をどうしても変わらないものがあると思うのです(苦笑)。
それまで一定の基準を持って物事を捉えていたけど、それからの体験・経験によって、それまでとは全く違う価値観を持つということは、当然あるわけで、
例えば、好きだと思っていたものが嫌いになったり、分かっていたと思っていたものが分かっていなかったということだったり、
まだ見ぬ未来というものは、それまでの知識や経験から予測するしかないわけだから、
実際に体験・経験しながら、自分というものは果たして何者で、何をしたい人なのかを、時間の経緯による体験・経験によって知っていくのだと思います。
それは、恐らく、社会に出たり、今までとは違う環境といった、自分とは違う人達との関わりの中で構築されていくものでしょう。
反面、何を体験しようと、経験しようと、変わらない自分というのも、確実にあるんだろうなる、ということもあって、
例えば、こうして自分のアホ極まりない実態を客観的に見せつけられたり(苦笑)、
例えば、読みたい趣味の雑誌の発売日が待ち遠しかったり、本屋さんで買った後に家に帰るまでの間はスキップしたくなる気分になることだったり、
よく考えてみれば、日常のウキウキすることや、ワクワクすること、楽しいと思えたり、何をもってして面白いとするということを思い出してみると、
変わっていない自分に気づくこともたくさんあったりします。
たくさん色んな事を体験・経験しながら、虚ろに変わっていく自分と、気がつけばまるで変わっていないアホな自分と、どちらもいるとすれば、
後になって分かることなのだから、そんなにまぁまぁ、今のことそのものを、極端に憂いて落ち込みまくったり、人生幸せ満開絶好調のように大喜びして騒いだりすることなく、
取り敢えず、大体まぁまぁ今のことなんだな、と一旦受け入れて進んでみるというのが自然なんだろうな、とも思うわけで、
それを繰り返しながら、それでも変わっていない、自身の行動行為の中に、ブレない一貫性や独自性のヒントというものがあるような気がするのです。
ビジネスにおける一貫性や独自性というものは、扱っている商品やサービスや業種業態にあるのではなく、
極めて属人的な趣味・嗜好、あるいは変わらない過去からの自分のアホ生態(苦笑)といった、実態の行動行為に宿っていて、そこにヒントが隠されているのだと、改めて思うのでした。
それが他人様に認められるかどうか、というのは、また別問題だったりして、こういう画像を見たある方が、
「昔から、こんなアホなことばっかりやってて変わってないのに、人が認めるかどうか、例えば、講演やコンサルの依頼が来る来ないというのは、やっぱり株式上場の経験っていう実績は、相当大きいんだろうなぁ・・・。
だって、この画像だけ見たら、昔も今もやってることが変わらない、ただのアホだもんねぇ(笑)。」
と言っていて、なるほど確かにそうだよなぁ(苦笑)、と思いながら、
本来確実に持っているであろう一人一人の独自性と、それが社会的に共感されて実績として残るかどうかの相関関係、あるいは置き換えの仕方というものを、ちゃんとまとめておきたいと思うのでした(笑)。
とかなんとか思いつつも、でも、ぶっ刺しているタバコの本数が少なくなっている現実は、
アホ度は、年齢と共に少しづつマシになってきている進化なのか?
あるいは、減少と共に退化してきているのか?
その方が、実は気になるのでした(苦笑)。