極めるというのは謙虚さを知ることなのだと思う
うまく言葉が見つかりませんが、敢えて言えば恐怖を抱くほどの美しい場面に出くわすことがあります。
一瞬とて同じ瞬間などないと思えるほどの美しい夕焼け空でした。
ゴジラ・ウルトラマンの生みの親である「特撮の神様」と言われた円谷英二監督は、
その絶頂期に
「今の日本の特撮技術で再現できないものは何一つない。」
と言っていたものの、
ある時を境に晩年には、
「我々がどんなに特撮技術を高めようとも、自然を再現することなど絶対にできない。」
と言っていたと聞きます。
この話を聞いて感銘を受けて以来、私は、
「物事というのは本当に極めていくほどに、人は謙虚さを知っていくのだろうな。」
と勝手に思っています。
だから、自分で自分のことを「私は○○のことは極めた。」と自覚し、
それを吹聴したり、自らの言葉に優位性を持たせようとしたり、本当に物事を分かったかのように結論づけてそこから動かない人を見ると、
言えば言うほどに、浅くて、愚かで、信憑性のなさを露呈しているように思えてしまうのです。
こわいのは、そうやって言い切る人に「あんた、浅くて愚かだな・・・・。」とはわざわざ誰も言わないことです。
せいぜい「素晴らしいですね。ご立派ですね。」と話を合わせて(こいつ相当な馬鹿なんだろうな。)と思っているのがせいぜいでしょう。
こう書くと冷たいようですが(苦笑)、
埋めようのない決定的な思考の違いというのは、私は私の経験則においても、そういうものだと今のところ思っています。
だって、そうでしょう?
こんな夕焼け空を目の当たりにさせられると、
円谷英二監督の言葉の方が、私は正しいと信じられるのです。