日常の一瞬に独自性は宿っていると思うんだよね(苦笑)
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新潟空港の屋外喫煙所で、スマホ見ながらタバコを吸ってたら、
ちょっと離れた場所から、
「あ、お客さん・・・・!」
「あぁ、あぃやぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!
いや〜、すいません、すいません、あぃやぁぁぁぁ〜。やります、やります、すいません〜〜〜!!」
みたいなやり取りと声が聞こえてきて、
何が起こった???、と思って、声の方を見てみたら、
タクシー乗り場で待機しているタクシーの運転手さんが、お客さんが来そうにないから、
後方30mくらい離れたとこに停車している同僚のタクシーのとこまで行って、世間話してたみたいで、
そしたら、予期せず、タクシーに乗ろうとしたお客さんが来てしまって(笑)、
そのお客さんは大きな荷物を持ってて、タクシーに乗ろうにも、運転手さんがいないので戸惑ってる姿を、
同僚の運転手さんが先に見つけて、
「あ、お客さん・・・!」
と言って、
それに気づいた運転手さんが、大慌てで、走りながら、大声で、
「あぁ、あぃややぁぁぁぁぁ〜!!!すいません、すいません!!」
と言いながら、お客さんの方に向かっていくという状況でした(笑)。
(あぁ、一瞬のことなのに文字にすると面倒くせ〜なぁ(苦笑))。
その慌てふためきながらも、一所懸命に振舞おうとするタクシー運転手のおじさんの姿が、ちょっと滑稽で、ちょっと可愛らしくて、でもなんだか素敵で、適度に田舎っぽいのんびりした風情も感じながら、
(あぁ、新潟の人って、のんびりしてて優しくて純粋な人なんだなぁ。)
と思うのでした。
まぁ、でも、「新潟の人」って言ったって、人口200万人以上もいるわけで、
全員がそういう人じゃないだろうわけで(笑)、
でも、そんなこと分かっていながらも、そういう一瞬の出来事や、旅先での他愛ない誰かとの出会いが、強烈にインプットされて、
その土地の文化や風土を象徴的に認識されるのも、また現実だと思うんですね。
あのタクシーのおじさんは、私のことなんか全く知らずに、きっとただいつものように、その人のまま、一所懸命に仕事をして、当たり前のように生きているんだろうから、
その姿を見た私に、こうして何らかの影響を与えたとか、まして、こんな風にブログに書かれているとか(笑)、
そんなこと思いもせずに、きっと今も、そうして生きているのだと思うんですね(笑)。
でも、私は、勝手に新潟の人達をまるで代表している人格者としてのように捉え(笑)、
「新潟の人」って、優しくてのんびりしてて素敵=新潟って素敵でいいとこだよ、となっている(笑)。
(まぁ、これまでの新潟での色んな方々との関わりから実際にそう思ってるんですけどね。)
そう考えると、私がいつも言っている、
「私の日常は、他人の非日常。
あなたの日常は、私の非日常。」
というのは確信が持てるし、
独自性というのは、わざわざ無理して探してみたり、
無理矢理何らかのキャラクターを演じなきゃいけないんじゃなくて、
「そもそも、その人の中にある」
あるいは、
「そもそも、身の回りの日常の中に存在している。」
という視点に立ってみるということでいいと思うんですね。
日常のことや、日常の中で素直にただ感じたことをブログやSNSで伝えればいい、と時に私は極論として伝えますが、それは、相手が勝手に独自性や「らしさ」を発見したり、認識してくれるものなんじゃないかな?と、ある一方の側面から見ると、それもまた正しいと思うのです。
「ただ生きているだけ、ただ存在しているだけで、それだけでも、十分に価値がある。」みたいな言い回しというのは、そういうことだと私は思うんですね。
まぁ、そんなことをガタニイからの帰りに思わせて頂きながら、
そういう意味で言えば、自分の日頃の立ち振る舞いも、
名古屋や日本を、知らない誰かに勝手に印象づけてしまう可能性が大なわけで(苦笑)、
ちょっとは言葉使いや表現方法や、立ち振る舞いを気をつけなきゃいかんのだろうな、と反省させられもするのでした(苦笑)。
私の周りの皆さん、私が当たり前で普通と思っていることでも、それが、知らぬ間にご迷惑おかけしてたとしたら、
何卒、ごめんなさい(苦笑)。