そうか、もうあれから3年か・・・・「私の2月14日」
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Facebookの機能の「過去の思い出チェック」で「3年前の今日」のアップ画像が出てきました。
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そうか・・・・・、2/14か・・・・・・。
あれからもう3年経つんだなぁ、と今日が2/14であることを思い出しました。
巷では、バレンタインでしょうが、それは今の私にとってはあまりに意味のないことでして(笑)、
でも、別の意味では一生忘れ得ぬ日付となっています。
(まぁ、日付そのものを忘れていているようではどうしようもないですけどね(笑)。)
恐らくビジネス人生で、最も嬉しくて、忘れられない日であり、かつ、いま思えば、その後の人生の大きな分岐を象徴するかのような日であったと思います。
株式上場の儀式である「上場の鐘」を叩く時の、「革ジャン姿のリハ」(上)と「スーツ姿の本番」(下)の2枚、3年前の私の画像です。
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この日の、筆舌にし難い様々に交錯する気持ちは絶対に忘れることはありませんが、
それ以上に、その日の明け方にブログを書きながらにして、明確に気づいていく素直な気持ちも忘れることはないでしょう。
そのブログには多くの反響を頂きましたが、前職在籍中のブログなだけに既に閉じてしまっていて、時々、リライトのご要望を頂くことはありました。
私も久しぶりに当時のブログを読み返しながら、「胸が熱くなるような想い」というのを知りました。
恐らく、こういう日しかリライトするきっかけもないと思いますので、多少の加筆・修正を加えて、ここに記すことにします。
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『2013.2.14ブログ記事「この日に寄せて」』
数時間後には、東京行きの新幹線に乗っているはずです。
今日、2013年2月14日は恐らく生涯で忘れえぬ日になると思います。
書こうかどうか迷いはしましたが、今の気持ちはこの瞬間しかないので書き止めておきたいと思います。
もう、このブログで書いても良いでしょう。
本日、株式上場させて頂くことになりました。
事業の立ち上げからこの10年余り、お陰様で、一つの目標であったことが実現することになりました。
無論、私以外の周りの方々の力なのですが、一言では言えぬ色んなことがあったし、私もそれなりの努力はしてきたつもりです。
捨ててきたこともたくさんあります。何より、忙しいのを言い訳にして不義理もたくさんしてしまいました。
反省が残ります。
心残りがないと言ったら嘘になります。
この日が来たら、飛び上がって裸になって大喜びするかと想像していましたが、
いざ、その日が近づくにつれ、そんな感情にはなってはいません(苦笑)。
変わらぬ日々があり、今日も変わらず店舗に行き、売り場を見ては変わらず考え事をして、
今日も変わらずイラストを描いて、そして、明け方にブログを書いています(笑)。
日常の中で変わっていくことは、漠然としたプレッシャーや不安が、日々大きくなっていることでしょうか?
絶対に浮かれた気持ちにならないようにと自己規制してきたつもりだけれど、その心配も今のところなさそうです。
「おめでとうございます。」と言って頂いたり、ちょっとからかわれたり、
そういうことがある度に、もちろん、お気持ち自体はとても嬉しいですが、ニコニコ笑って上機嫌になる余裕や器は私にはないようです。
外の寒さのように、身の引き締まるような思いが強くなって、無意味に焦るばかりです。
思うに、
私は「立証」したかったのだと思います。
私は、50年の歴史のある家業の廃業経験者です。
祖父が立ち上げ、父が継承し、何不自由なく育てて頂いた「傘屋」の看板と環境を、
3代目で廃業という結果で終止符を打ちました。
昨日のことのようですが、10年以上も前のことです・・・・・。
廃業という行為を進めていく中、祖父と父の証であった、自社ビルの処分の手続きや、
「さら地」にするために取り壊されていく状態を目の当たりにしました。
立地的には申し分のない、名古屋駅から徒歩5分の場所に100坪と、
「錦」という名古屋の中心地の35坪の二か所でした。
今でも、その場所の近くに行くと、当時のことが思い出されます。
廃業手続きしていくそんな中でも「まぁ、しょうがないわな。」と両親が気丈に振る舞う姿や、
粛々と物事を片づけていく姿、時折見せる寂しそうな姿を見ながら、
これからのことを何も考えていない不安と、こんな風にしてしまった自分に何ができるのだろうという気持ちが交錯していました。
私は恐らく、長男としては彼らの思い通りには育ってこなかったのだと思います。
そんな両親の姿を見ながら、自分には、それまで思っていた程、器も能力も、
もっと言うと、人間としての社会的な価値などないのだろうと、疑心暗鬼になりました。
せめて、自分の力だけではどうにもならない環境や、衰退していく業種業態だったからだと、唯一残された「言い訳」を支えにしました。
「自分は大丈夫だ。人にはない色んな経験をさせてもらったし、してきたのだから大丈夫だ。」と言い聞かせました。
両親は自分のことより、私のこれからのことを心配していて、大して私は「俺は大丈夫だから。」と言い続けました。
経営者勉強会のリーダーもやっていましたから、不安や不信の様子が漂う会員の皆にも、
「心配するな、俺は大丈夫だから。」と言いました。
何を根拠に「大丈夫」かなんて言えなかったけど、そう言い続けることで、自分にも言い聞かせていました。
そんなこんなの10年あまり・・・・・・、
思うに、私は、立証したかった。
振り返り、気が付けば、立証したかったのだと思う。
あの両親が一所懸命に商売をして、その両親の姿から教えられた息子である私という存在は、ちゃんと社会で通用する人であったということを。
家業を廃業することになった以上、残るは、せめて
「あの時、廃業を決めておいて良かった。秀樹があのまま傘屋をやっているより、社会的に成功できたじゃないか。良かったね。本当に良かった・・・・・。」
と両親に思ってもらえるような圧倒的な実績を創ることを。
運よく、この会社の立ち上げの話を頂きました。
そして今に至るです。
無論、一般的な「なぜ上場するのか?」の意図は公的にはあります。
ありますが、個人的な理由においても、私にはどうしても上場したい理由があったことは確かです。
不純であるのかも知れませんが、様々なことがある中、紛れもなく私を支えてきた一つであったことは確かです。
日々体が弱っていき、去年から入院が続いている父が心配でしたが、上場の報告は何とか間に合いました。
先日、病院に行った時、ベッドの上の父に「お父さん、2月14日に何とか上場できそうだからね。」と伝えました。
もう、私の言っていることや、言っている意味が分かるかどうかも分かりませんが、
嬉しそうに笑ってくれた・・・・、
ように私には見えました。
子供のころに記憶のある、厳しい中にも時折見せた、少し照れくさそうな、あの穏やかな優しい笑みでした。
報われたような気持と、色々とあった父への思いが全部抜け落ちたような気持になりました。
私は、運が良かったのだと思います。
周りの方々に助けられたのだと思います。
まだまだ個人的な理由で頑張る意味は残っています。
時間を取ってやれないダメダメパパな私は、娘や息子に、「パパは日本を元気にするスゲー仕事してたんだ。」と思ってもらうのは、これからの大きな一つの夢です。
未来に希望を見いだせなくなっている若者が多いと聞きますが、どんな奴だって、これくらいやれば一つのことは達成できるんだと思ってもらうこと、等々。
でも、ここからは、もう個人としての思いで何とかなる環境ではないことは十分分かっているつもりです。
(すでに、そうでしたし・・・・・・。)
だから、漠然とした不安があるのでしょう・・・・・。
「仕事と人生をつなげる」という文言が、会社のスピリッツの一つにあります。
私は、色んなことがある中で、それでもやり抜いていくには、このフレーズが必ず必要だと思っています。
今日以降、どんなことがあるのか、なってみないと分かりません。
ともあれ、その瞬間は迎えます。
どんな感情が身を包むのか、楽しみでもあります。
時間が迫ってきました。
出かける準備をします。
この続きは、また続きを書けるときに書かせていただきます。
色んな人の顔が次々に浮かびます。
皆様に感謝を込めて・・・・・・。
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深夜に、明日が来てしまう前に、正式に報告となるブログをちょっと書いて、今日だけはしっかり寝ておこうと思いながら書き始めて・・・・・・、
気が付けば、明け方になっていて、そして朝5時になって大慌てで準備した記憶があります。
出る直前に、レザージャケットをスーツケースに放り込んだ瞬間も明確に記憶しています。
株式上場というのは、その経験をする人にとって、それぞれの価値があるのだと思うし、その想いは様々かと思います。
しかし、私にとっては、株式上場することそのものに価値があったかどうかより、この気持ちに気づけたことが最も大きな価値であったと信じています。
こんな宝物はありません。
頑張ったプレゼントがあったとしたら、それはこの日ブログに書けた気持ちなのだと思っています。
だから、いろいろとあったけれど、全てに感謝できているのだと思います。
このブログに書いた通り、2月の頭に父に上場の報告ができ、その年の5月に父は亡くなりました。
神様が間に合せてくれたのだと、この時ばかりは神様に感謝しました・・・・・・・。
私にとっての2/14は、今年も、あのブログの最後に書いてあった通り
「色んな人の顔が次々に浮かびます。」
そして
「皆様に感謝を込めて・・・・・。」