新しきに謙虚さを知る
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全国のあちこちに行かせて頂けるお仕事のご依頼を頂けてとっても幸せです。
その度に思うのです。
自分にとってはとても新鮮な、新しい場所や、新しい業種業態や、新しい人との出会い・・・・、
それはすなわち、
自分などが、まだ知らぬ場所であり、まだ知らぬお仕事であり、まだ知らぬ人の想いなんだろうなぁ・・・・と。
品川から乗る京急本線の切なさと「のどかさ」も知らなければ、
数分走れば下町風情溢れる無名の町並みも知らなければ、
大都会東京に昔から緩やかに流れる運河があって、そこには船が浮かんでいるいることも知らなければ、
そして、こんなに穏やかに暮れて行こうとする素敵な夕暮れの景色も・・・・・・、
日本の経済を支えてきた一つの業種のことも知らなければ、
そこに集う人達の人生も気持ちも、何も知らない。
何も知らない、無知極まりない自分を改めて思い知るのです。
大学時代から社会人になっての数年はじめ、その後も何度も通い、なんとなく分かっていたつもりの東京も、まるで何も知らなかったんだなぁ・・・・・、そう思うのです。
じゃあ、地元・名古屋のことはどれだけ知っているのか?
きっと何も知らないのです。
新鮮でとまどうような新しさに触れる度、何も知らない無知な自分に気づき、
そして、伴い、とても謙虚に気持にさせられます。
前職を退任し3年近く・・・・・・、いつしか、私は、人前に立ち何かを伝える側となり、依頼を頂いては難問課題に対して情報を送り、それに対して対価を頂くと言う立場になり、周りの人は、いつしかそういう人なのだと見てくれています。
そして、そういう行動行為を、人は一般に「教える」と言うのかもしれないなぁと思います。
しかし、私は「教えるという人」になった自覚は一切なく、人様に何かを教えられるというような大それたことは一度も考えたこともなく、
むしろ、それをしたい人は、何て愚かで滑稽で浅はかでカッコ悪いのだろうと思うのです。
経営について、人について、業界について・・・・、世の中の様々なことについて、
「俺は、もうそれは知っている。」「俺はそのことについては極めた。」「そんなこともう分かっている。」
そう自覚したり、吹聴したりする人に対して、何しろ愚かでバカでマヌケなんだろう、と思ってしまう自分がいます。
新しきを知り自分の無知を知る度に、決して人に教えるなんて大それたことを自覚するまい、何も知らない自分が何かを教えるなどと偉そうに思ってはいけない、と、そう思えてしまう自分がいます。
それでも、こんな私でも、光栄にも何らかの無形の価値を見込んで何らかのご依頼を頂く場合、どうしたらいいか?
私の答えはたった一つ・・・・・・、
ただ「伝える」だけです。
自分の履歴であり、経験であり、そこから何を学び、何を感じ、何を勉強し、どんな知識を得、どんなスキルが身につき、そして、どんな価値観を持つに至り、今のところ何を結論としているか・・・・・・・。
全ては自覚であり主張であり、正解や答えではなく、しかし、自身の変え難い貴重な人生の一コマ一コマのプライドは持って、全力で伝えるだけです。
それしかできません。
それができるのではなく、それしかできないのです。
自分のやってきたこと以外、あるいは経験してきたこと以外、あるいは感じてきたこと以外・・・・・、結局のところ、何も知らないのが自分なのですから。
ついつい忘れてしまう謙虚さ。
自分は、何を知っていると自覚して、何を知らないかを自覚する、すなわち、自分が「分かることと、分からないことが、ちゃんと分かっているか?」を自覚することこと(ややこしいな(苦笑))がいかに大切かということを、こういう瞬間が思い知らせてくれます。
新しきは、何と無知を教えてくれて、謙虚にさせてくれるか。
そう思うと、無知でバカを自覚するほどに、人生の新しきを発見を素直に感じられ、無知で謙虚は、変え難い尊い力だと思うのです。
そんなことを考えながら、自分が本当にやってきて、自分が本当に得たと信じられることを、全力でお伝えしてきました。
謙虚さを持ちながら、全力でお伝えできるなんて、そんな経験、私にとっては、それが「幸せ」を実感するということなのでしょうね。
頂けたその瞬間と時間に感謝です。