虚ろで曖昧なグラデーションが実は現実なのかと思ふ

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今日は長野県で目覚めました。

「わいどビューしなの」に久しぶりに乗ってきました。

実はこの沿線、ガタゴトと揺られ続ける印象が付きまとって決して乗り心地が良い訳じゃないんだけど(苦笑)、ワイドビューというだけあって、とりあえず窓がデカい(笑)。

デカいって新幹線と比べてどれくらいデカいのか調べた訳じゃないけど(苦笑)、なんとなくデカいことだけは分かるわけです(笑)。

ずっと窓の外を見てる訳でもないけど、フと見るとそろそろ紅葉がかるグラデーションの景色とかが楽しめますが、でも、私にとっては、街から田舎へといつの間にか変わっていくもう一つのグラデーションの感覚が好きだったりします。

(この辺に住んでる人達って、どんな日常の中、どんな価値観を持っていて、そんな中でどんなお仕事をして、何に幸せを感じたりしてるんだろう・・・・。)

とか、

(『都会と田舎』って明確な区分があるわけじゃなくて、こうしてグラデーションがかかりながら、いつの間にかどっちかになっていくってのは、『友達と親友』とか『好きと恋愛』とかそういう曖昧でいつの間にか的な感覚と似ていて、そういう曖昧で現実的な認識ができないことの方が現実だったりするんじゃねーか?)

とか一人考えては自分なりの何かを定義づける、どうでもいいような時間が好きだったりするわけです(笑)。

一見、景色が見えるように、「ただ窓をバカでかくしただけ」という短絡的とも言えるような思考性も、尊く思えてくるから不思議だったりします(笑)。

てなことを考えながら、赤の彩が曖昧に増えていく景色を帰りも楽しみたいと思います。

曖昧で虚ろなので現実なのかもね。
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