「好き」を知るには「嫌い」も経験せねば分からない

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TOSBOISTUDIO事務所の前が、大音量で何かうるせぇなぁ、と思ってたら(笑)、「名古屋ど真中祭り」の何とか踊りやってます(笑)。

たくさんのチームの老若男女が元気に踊っています。

私も、経営者勉強会での本格的な阿波踊りの訓練に始まって(徳島阿波踊りの桟敷で踊ったことあるんですよ)、過去、色んな体を使っての集団の表現を経験させて頂きましたが、何が苦手って、それが一番苦手(苦笑)。

だから、心から楽しそうに、皆で頑張る方達を見ていると、立派だなぁ、素敵だなぁ、と本心から思ってしまいます(苦笑)。

 

こういう場面に遭遇すると、改めて、やってみてから好きか嫌いか、得意か不得意かを認識すればいいんだろうな、と思います。

そういう意味では、「好き・嫌い」「得意・不得意」という理由で、「やる・やらない」を意思決定するには、できるだけ若いうちに、目の前に現れたことは一度全力でやってみることを経験しておくのはとても大切なんだろうなぁ、と思います。

 

これからの生き方やビジネスの在り方は、「好きか・嫌いか」「楽しいか・楽しくないか」という選択基準はとても大切で、中小・零細・個人にとっては生命線とすら思っています。

ただ、その言葉を、人それぞれどの経験則に基づいて使っているのかという基準も同じくらい大切で、まだ経験も浅く、実績もないうちから、言葉で聞いただけで「そうだそうだ、だから私は好きなことしかやらないもんね。」となると、肝心の成果が出せない口だけのボンクラになる可能性も大きくはらんでいます。

そういう意味で、定性的な表現といえのはとても難しい(苦笑)。

 

私は、社会に出てから25年あまり、5000人規模の会社・20人規模の会社・3人〜700人規模の会社になっていく社会経験や、100人単位の研修や10人規模・30人規模〜1500人規模の勉強会まで、多くの集団や組織で、アルバイトから社長、一番下っ端からメンバーからリーダーに至るそれぞれの立場を経験させて頂き、それぞれで多くのの失敗や挫折(ほとんどがこれだった(苦笑))や、些細ながらも自覚できる程度の成果を頂きました。

その上で、やっと、自分は「皆と一緒」「力を合わせる」「集団行動」「団体行動」「決められたことをちゃんとやる」は大の苦手だったということをやっと気付きました(苦笑)。

これだけやらないと分からなかったというのは、我ながらアホだと思うのですが(笑)、得意だと思っていたことが、実は好きでなかったとという自分に、この歳になってやっと気づくわけです(笑)。

まぁ、50歳にして揺るがない程の決定的ともいえる自覚ができたのは大きいとも言えますがね(苦笑)。

さして努力もしなかったのに集団行動や組織人でいられて、それぞれで立場を頂けて経験させて頂けたということは、都度に多くを経験するし、失敗と成功を繰り返せばスキルは当然上がっていくのですから、それらは「得意分野」になってはいきます。

しかし、それが条件や立場や使命感だけで、何の報酬がなくても延々とやり続けることかと言えば、やらないことは私の基準では「好き」ではありません。

よって、私の基準では「得意」と「好き」は全くの別物となります。

 

同じ言葉や、多くのことを一つに集約した格言というのは、万人に情報としては与えられますが、それを、知識だけで言っている人と、実際の体験・経験に基づいて言っている人の言うことは、話を聞いていると、どこぞに違いにあります。

 

私のことを、「何だかんだ言ってもエリートなんじゃん。優秀なんじゃん。」と言う人もいますし、「アウトローですね、型破りですね、自由奔放ですね。」と言う人もいます。

「ドラマチックで破天荒な経験ですね。」と言う人もいれば、「そんなの安定的で普通の人生だろ?」と言う人もいます。

お金を払ってでも話を聞きたいという人もいますし、うまいことタダで教えてもらおうとする人もいれば、聞きたいとも思わない、という人もいます。

人は自分の経験則の中からでしか、他人と自分の違いを認識しないのです。

だから、放っておくと、曖昧で虚ろなのが社会の中の自分であり、自分と社会の関係というのも同様というのが本質になるから、自分以外に正解を求めるのは不可能なんですね。

が故に、自身らしく生きるということは、自身の軸を持っておかざるを得ない、と思うのです。

では、自身軸はどうやって出来上がるのかと言えば、そのヒントは、実際の体験・経験であり、そこから得た喜怒哀楽の感情だと、私は思っています。

やってみる前は「好き」だと思っていたが、やってみるとそうでもなかった、継続できなかった、憧れてるだけだった、と実感することはあるでしょうし、「嫌い」だと思っていたけど、やってみたら「好き」な自分に気づいたということもあるでしょう。

そもそも最初から「好き」と認識し切れることがあるか?と言われると、そんなものはないのです。

やってみて、どうしてこんなにモチベーションが上がらないのにやり続けなきゃいかんのだろうか?とか、他の人はすごく楽しそうにしているのに何で自分は楽しくないのか?とか、そういう他人と自分の違いを認識しながら、あ、そうか私はこれが「嫌い」なだけだったんだと気づいたりしながら(苦笑)、ん?、と言うことは自分の「好き」はどこにあるんかい?となることの方が圧倒的に多かったです(笑)。

「生と死」「善と悪」が一対であるという考え方と同様に、「好き・嫌い」もまた一対であるとすると、それはもうやってみないと分からないのです。

 

「好き」で生きるというのは、決定的な「嫌い」を知らねば、成立しないというのが私の考えです。

それには、まずは何でもかんでも経験してみるしかありません。

何でもかんでもというのはキリがありませんから、その範囲は、目の前に現れたこと、与えられたことになります。

若いうちは、今の仕事や与えられたこと、やらねばならないことに対して、まずはガムシャラに全力で立ち向かうことの意味はここにあると思っています。

そして、そのものを無条件に楽しんでやっていると感じる人を見ると、こいつは将来とんでもない大物になるんじゃねーか?と思うのです。

若いうちというのは、どれくらいかと言うと、それこそ私の経験則ですが、社会に出てからの20~30代ですね。

この時期は目の前に現れたことや、与えられたこと、依頼されたことは、一旦全部やってみる。

30~40代は、経験に基づいて仮説と実験を重ねて実績を積み上げる。

50代からは、実績に基づいて、「好き・嫌い」の取捨選択をして「好き」に一点集中する。

こんな感じでしょうか?

10年という期間は恐ろしいもので、同じ「好き」なように生きると言っても、上記のように重ねてきて50代になった人と、20代から好きなことしかやりたくないと言いながら50代になった人と、「好き」で走った場合の成果が同じなわけがないと思うんですね。

無論、これは私の考えでもあるし、どちらが良い・悪いとか、正解とかそういうわけではありませんが、多くのビジネスリーダーと話していると、前者と後者では自分の基準というものに、もうどうしようもない圧倒差がついてしまっていると感じてしまうことも少なくありません。

例えば、現状に大してグダグダ言ってる人に、「そんなにやりたくないなら、やらなきゃいいじゃん。やりたいことだけで突っ込めば?」と言ってあげても、お金の問題も含めて、そういう生き方をするリスクが怖くて進めないのです。

「進めないなら、いまのままを選択して、全力でやればいいじゃん。」と言っても、それはそもそもイヤなわけだからグダグダ言っているわけで(笑)、こういう人の迷いというのは軸がないというのですね(苦笑)。

結局のところ、ほとんどの人は、お金を稼ぐまではつべこべ言わずに全力で稼げ、お金ができたら「好き」に生きろ、お金がなくなったらまたとにかく稼げ、貯まったらまた「好き」に生きろ、要するに「お金」だけの問題でしょ?程度のことのように気がします。

それは「自分らしく生きる」のではなくて、「お金で解決できる問題」でしょ?となる。

そうなると、「じゃあ『お金』ができたら、どんな『好き』なこと実現したいの?」となるのですが、それが、明確でなかったりするからややこしいのです(苦笑)。

「好きに生きる」「楽しく生きる」いうのは万人共通の言葉であって、「自分が実際に好きに生きている状態」というのは具体的にどういうものなのかは、人によって違うし、誰一人同じではないのです。

それが決まっていないのに、どうやって「好き」に生きるのでしょう?

そこが決まっているか決まっていないかに関しては「お金」の問題ではないはずです。

逆に言うなら、それが決まっている人が、今を全力で頑張っている人とも言えます。

トータルすると、今を頑張れない人というのは、「好き」なことがない人とも言えるんですね。

だから、「『好き』なことがなかなかできていない今が辛い。」と言っている人や、悩んでいる人に対しては、その時点で、「あぁ、本気には思ってないんだな。」と、私はなります(苦笑)。

「好きがない」というのは、「嫌いがない」というのと同義です。

「好き・嫌い」は、やってもなくては分からないのであれば、ならば、やってみてから認識しろよ、というのはそういう考え方から来ています。

私の場合はですがね(苦笑)。

だから、自分だったら絶対にやりたくないような、チームでの踊りを満面の笑みで本気でやっている人達に対して、
「この人たちホントにスゲー。」と思ってしまうのでしょうね。

そういう人達もいて、私みたいな人もいる、それが嬉しくて楽しいなら、それが一番いいんだろうなぁ、と思う日曜の午後です。

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