関係性は互いをどう認識しているかによって変わる
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こちらが特別会いたいとも思っていない知り合い程度の人から相談にのって欲しいと持ちかけられて、会って状況を聞いて、私なりの見解や解決策を述べると、「それはこうだからできない。」「それは自分の理念に反するからやりたくない。」「やりたいけれど周りがどうこうだからできない。」「それはリスキーだからやりたくない。」「自分は自分のやり方を崩したくない。」と言い続ける人に、「じゃあ、そのまま生きていけばいいんじゃないですか?どうしても変わらざるを得ない時が来れば変わればいいし、そのまま進んで上手く行けばそれはそれでいいんだから、そもそも相談なんてしなくていいじゃないですか?」と言うと、「それもまた困る。」といった3歳児程度の人(笑)は案外多くて、そういう人には、「もう一度確認させて頂きますが、ここに来たのは、問題を解決したいのか、話を聞いて欲しいだけなのか・・・・、まぁ、どちらにしても、私という時間を使う以上は、次回から規定の料金は頂きますね。」と言ってあげると、「よく考えます。」と言って、二度と来なくなる(笑)。
相手がオードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローなら何でもするし、どれだけ時間かかろうと構わないけど(笑)、ちょっと知り合った程度で、こっちが強烈に会いたいだけの理由がない相手とは、そうはいかないわけで、その辺の感覚は人によって違う。
家族・子供・身内・恩人・恩師・師匠・先生・先輩・仲間・友達・恋人・顧客・取引先・素人・アマチュア・プロ・・・・・、といった自分からみた相手の立場とそれを区分けする線引き、あるいは、それぞれに何をどこまでさせて頂けるかか?という範囲は人それぞれだし、また相手に対してどの間柄を認識しているかというのもお互いに一致しているとも限らないのが、面倒と言えば面倒だし、面白いと言えば面白い(笑)。
そう考えると、会ってくれた相手への前提は、「ありがとうございます」という気持ちがちゃんと伝わるだけの行為や態度、あるいは目に見えた何かがあることであり、それでやっと普通のラインに立っているということなのでしょうね。
これ書きながら、「色々と相談があるから会って欲しい。」と言われた経営者勉強会の先輩で、待ち合わせの場所に行ったら、行く店が決まっていて、そこは自分の行きつけでいい顔したいキャバクラまがいの飲食店で、ギャアギャア好きなこと喋って、あげくこっちまで金払わされて、「このクソボンクラとは2度と個人的には会わない。」と決めた相手のこと思い出してしまった、改めて腹立たしい深夜です(笑)。