他人様のことを批判する暇があるなら自分を大好きになるべきだろ

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なぁ、先日の講演のこの画像、俺、なんかちゃんとしたこと熱弁してそうで、なんかカッコ良くねーか?(笑)

まぁ、いいや、そんなこと(笑)。

自分で自分が大好きであればそれでいいや(笑)。

書きたいことは、ここからです(笑)。

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何らかの感情や価値観の違い、考え方の違いによって、公に他人を批判するのは、

言論の自由や思想の自由が守られている環境では、ある意味、批判する人の勝手です。

他人のことを批判する人を、「他人のことを批判するのは良くない。」と批判するのも、ある意味、その人の勝手です。

さらに、「他人のことを批判するのは良くない。」と批判した人を、「他人のことを批判するのは良くないと批判しながら、他人のこと批判しているのは良くない。」と批判するのも、ある意味、その人の勝手です(笑)。

さらに・・・・(笑)、

と、まぁ、こうして延々と続けることは大いに可能であり、

双方の自由と言えば自由なわけですね(笑)。

 

言論の自由とか、表現の自由とか、思想の自由というのは、

法に触れるところまでは、自由で勝手にできるということです。

だから、やりたければ、訴えられるまで、自己責任で好きに勝手にやっていいのです。

 

好き勝手なのだから、他人様を批判しても好きにやればいいし、

飽きるまでやるか、

和解するまでやるか、

せいぜい死ぬまでやり続けるか、

そうしたい人は、やりたいようにやればいいし、

人生をそうやって使っていくのも、まぁ、その人の勝手でいいでしょう。

死ぬまでやってりゃいい(笑)。

やりたきゃ、やりゃいいんです、死ぬまで、ずっと。

ずっとずっとずーーーーーーーっと、死ぬまでか、死ぬまでのどこかまで、やってりゃいいんです。

その人の人生なのだから。

私はそう思います。

 

自分のことを、自分が認めてもいない、あるいは、どこの誰かもよく分からないような奴から批判されたり、一方的に攻撃されれば、誰もが感情的にはいい気はしないでしょうし、

言ってきた奴のことも、よくは知らないけど、少なくともそいつの人格や人間性も、良くは思わないというのが普通の感情ではないかと思います。

 

あるいは、人は自分のことは我慢できるけど、自分の大切な人や好きな人のことを攻撃されれば、その方が我慢ができなかったりしますね。

 

仮に、「あんな風に人のことを批判するなんて、なんて酷いんだ!バカじゃねーのか!クソじゃねーのか!死んでしまえ!!」と言いたくなる時に、

そうやって「批判するのは良くない。」と自分は言っておきながら、そういう自分も他人のことを批判しているじゃねーか?というジレンマに陥ったりすることは、きっと誰もがあるんじゃないかと思います(笑)。

 

なので、相手にしない、関わらない、アホは無視しよう、距離を置こう、断絶しよう、等の選択をするのも一つでしょうし、

やっぱり、批判した奴を許せないので、批判した奴を徹底的に批判・攻撃・論破して自分の正当性を訴える、というのも一つでしょう。

 

無視された側は、「何も言ってこないのは、言われてもしかたないと認めた証拠。」と、(何がどんな証拠になるのかよく分からないけど(笑))、

さらに追い討ちをかけることも可能でしょうし、

飽きるのも一つでしょうし、

何かに気づくのも一つでしょうし、

次の獲物を探し続けるのも一つでしょう。

そうやって、自分とは違う誰かを批判し続けて、

そして死んでいくのも、その人の勝手でいいと思います。

 

私個人としては、もちろん他人のことを批判したり批評することは、多かれ少なかれ、あって(苦笑)、

でも、そういう対象がいないと、自分の存在意義が認識できなかったり、

そういうことをする為に、わざわざこの前世に生まれて来て、

人生を送って、死んでいくのか?と思うと、

それこそ死にたくなったりするし(苦笑)、

どんなに主張が正しいとしても、誰かを得意満面で批判している時は、

それを聞いている人からは、きっと自分の株を下げているんだろうな、と不安になることがあるので(苦笑)、

他人の批判というのは、基本的には、

冴えないサラリーマン(苦笑)とかが、居酒屋で共通の上司の悪口を言い合って意気投合したりするような、一緒にいる人の話題や会話の都合の良いツール程度、

あるいは、一つの具体事例として、互いの価値観や考え方を確認し合うツール程度のものだと思っています。

まぁ、他人批判というのは、私にとっては、自分を知るための都合の良いツールですね(笑)。

そう割り切っているから、仲の良い間柄とでしか特定の人の批判はしないし、

批判した人の全てを知った上で批判しているかと言えば、そんなことはあり得ない訳で、

結局は、あなた様を都合の良いツールとして使わせて頂いています、ありがとうございます、ゴメンナサイ、と感謝や謝罪の気持ちです(笑)。

 

だから、特定の誰かを、直接迷惑や被害にあったわけでもないのに、

個人名や団体名まで出してまで、公で批判して、自分の存在や、自分の主張・考え方の正当性を訴えるような行為をしている人がいると、

この人、こうやって生きて、こうやって死んで、死ぬ直前までこうやってるのかなぁ?と、

とても興味深く思ってしまいます(笑)。

 

人類のサンプルとしては、面白いし、価値はあるでしょうが、

大切な人生の時間を共有して、何かを一緒にやりたいとは思えないですね(苦笑)。

ホントはもっとちゃんとしてて、スゴイ人かも知れないのに、

一度そういう印象がついてしまうと、もうこっちからは観察はしようとは思うかも知れませんが、近づこうとか、関係を持とうとは思いませんからね。

公で、特定の誰かを批判をするということは、それだけリスキーなことだと思っているので、

誰より自分が大事で大切で好きな私(笑)は、

自ら、知らない誰かに、知らぬ間に嫌われたり、呆れられたりする可能性がある、そんな恐ろしいことは、とてもできないのです(笑)。

 

誰かの何かの主張や思想といったものに、違和感や悪感情を抱くということは、

自分が良しとする主張や思想があるということです。

 

それなら、私は自分の主張や思想に磨きをかけて、明確で強固なものすべく、追い続けたい。

「違いを認める」というのは、そういうことだと思っています。

だから、相手をいちいち本気で批判したり、公の場で批判を前提とした何かを伝えるのは、

私から言わせれば、人生の無駄であり、ヒマなんだろうな、と思ってしまいます。

 

そもそも、主張や思想というものは、個人に宿ることはあっても、

それが正解だ、と言えるものではないと思っています。

それこそ証明のしようがありません。

思想や主張の違う者同士が、死ぬまで論争したところで、果たしてどこの誰が、客観性を持った証明をもってして、どっちが正しいと言えるのでしょうか?

私の経験則では、せいぜい、宗教とか神の世界に没頭してて、「だって、信じてる神様の誰それが、そうやって言ったんだもん。」程度がせいぜいです。

 

だから、私は、私の行けるとこまで、私の体験や経験で、リアルな主張や思想というものを自覚して、

人様に問い、できればお役に立ちたいという願望を持っていたい、

という、極めて傲慢かつ自分勝手(笑)な欲望を持っていると言えます(苦笑)。

 

本当の本当に、自分の主張や思想というものがあるのなら、

他人の主張や思想など、どっちでもいいのです。

好き勝手やっていいなら、好き勝手でいいのです。

 

個人の主張や思想が明確になればなるほど、他人の思想と主張は、相入れなくなります。

個人なのだから、それは仕方ないし、当然と言えば当然です。

一人一人の人生は、一つとして同じものがないのですから。

 

自分の主張や思想が明確になった途端、他人の主張や思想、考え方ややり方とは別物になることが当然で当たり前なのに、

他人の主張や思想を批判するというのは、

まだ、自分の主張や思想が明確でないことを露呈しているわけで(笑)、

わざわざ他人様の主張や思想ややり方を批判しなければならないということは、

「私の主張や思想はまだちゃんとしてません。」

と自己紹介しているように見えて、滑稽に見えてしまうのです(苦笑)。

私はね。

 

こういう私の考え方や主張を見て、

「こいつ、バカだ、アホだ、何もわかっていないのに、よくもこんなこと書けるなぁ。」

と思う人も、また現れるかも知れないし、

それもまた、自由で勝手で好きにしていいと言えば、いいのです(笑)。

 

そうです。

自分の主張や思想というものは、研ぎ澄まされて、明確になって、言い切れば言い切るほどに、

違う誰かからは、批判され、時に攻撃、弾糾される可能性や確率は高まるものだったりもするのです。

 

そこまで考えると、どうせバカにされたり、アホだと言われるなら、

言われても腹が立たないほどに、

好きに勝手に、自分らしく、アホでバカで楽しいと心から思えることを日頃から本気で勝手にやって、

その評価は、他人様に100%で委ね切るというのが正しいんじゃねーか?

生きている時代に、共感者が増えれば嬉しいし、ボコボコにされて嫌んなったり、反省したら変えればいいし、

どうあれ貫くというのであれば、貫けばいいし、

そういう自分のリスクで自分の人生を生きるってことが、自由ってことだろ?

と思ったりするわけで、

さも、頭の良さそうで、物事を分かっているキャラを売りにすればする程に、もし他人様を批判した瞬間に、バカに思われるリスクもあるわけで(笑)、

同じリスクなら、私は、ハナっから、バカやアホでいた方がいいと思うし(笑)、

本当にバカやアホが楽しいのなら、

そっちの方が、他人からの評価を受けた時のダメージのリスクが小さいと思うのです(笑)。

 

最近、よく言われる、「あなたが楽しめばいい」「あなたが好きにやるのが一番だ」というのは、

私はこういうことだと、私なりに理解しています。

 

不透明極まりないこの時代において、自由とリスクは表裏一体だから、それを分かった上で、自由を満喫しなさいよ、ということでもあり、

最もキツイタイプは、

なぜかプライドだけが高かったり、

人に頭が良く見られたかったり、

バカなのに、人からバカにされたくないと思ったり、

誰かに認められたくて認められたくてしかたない欲求を持ったり、

他人承認や評価の上でしか自己を認識できなかったり、

自分の存在が認められない人なのでしょうね。

 

もうちょっと、自分を大好きで、誰よりも認めてあげればいいのになぁ、と思うのです。

 

そう考えると、私は、他人様から何と言われようと、

誰よりも、自分が大好きで大事で大切なのが根本にあって良かったなぁ、と

ちょっとは思うのです(笑)。

 

こういうことを書くと、またどっかの誰かに、勝手にその人の基準や価値観で受け止められて、

批判されて、

そんで、ちょっとだけ凹むという、あの甘美(笑)で面倒な気持ちになるかも知れないと思うと、

それはそれで、ちょっとだけソワソワして楽しい(苦笑)。

 

だから、主張というのは楽しいし、

自分が大好きなのは大切だと思うのです(笑)。

どうせバカならバカでいい(笑)
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