「カッコいい」は「滑稽」と隣り合わせ

image

新幹線で移動中なんだけど、2つ後ろの席の冴えないオッサン達3人が、どうでもいいクソ話を延々と大声で好き放題喋ってて(笑)、スゲー馬鹿に思えるものだから、顔見てみたらやっぱりスゲー馬鹿そうに見える(笑)。

でも、ご本人達はとっても嬉しくて楽しそうなんですね(笑)。

 

これ、マナーがどうだこうだとか、うるさいよなぁとか、そういう話をしたいんじゃなくって、むしろ、個人的にはいい生物観察できてる程度だからいいんですね(笑)。

そのいかにも冴えないオッサン達の大声聞きながら、何を思ったかというと、「好きに生きる」とか「楽しく生きる」とか「カッコよく生きる」って、誰もがしたいことなんだろうけど、それは自分が実現している状態であればある程、側から見たら、恐ろしく「滑稽」で「カッコ悪く」て「馬鹿丸出し」に見えることと紙一重だってこと(笑)。

さらに言うと、ブログやFacebookはじめSNSでの発信ってのは、情報発信にせよコメントにせよ、前提が自分からの好き放題の一方通行で(まぁ一般には自分が好きなこととか嬉しいこととか楽しいこと良かれと思っていることを発信してはいるんだろうけど)、それを世界中の四方八方から見られているわけだから、単純に置き換えれば、新幹線のオッサン達状態を露呈して(笑)、かつ、新幹線の中の数人程度どころか世界中の人達に見られてるってことになります(笑)。

そして、さらにさらに、楽しそうに喋りまくっているオッサン達に、私から「ねーねー、オジサン、とっても楽しそうでいいんだけど、スゲー馬鹿に見えるよ♡」なんてことは、絶対言わないように(笑)、SNSでの誰かの発信に対しても直接本人には絶対言わないし(苦笑)、逆に、私にも誰も絶対に言わないと思うのです(笑)。

恐ろしいのは、喋り疲れて寝てしまってその寝顔すらもどうしても馬鹿にしか見えなくなってしまっているオッサン達(笑)は、もしかしたら、尊敬に値するようなスゴイ経験を越えてきている人かも知れないし、別の場面では世界一、人の役に立っている素晴らしい人かも知れないわけで、ただ、その人の断片的な一面だけを捉えて、さらに私の勝手な価値観と解釈で動かしようのない「馬鹿」と認識しきっているということにあると思うのです(苦笑)。

SNSもしかりで、特にホイホイFacebook上だけでどんどん知り合いになって、会ってもいない関係なのにコメントとか適当にやり取りしながら、関係が深くなったような気がして、その人が本当にどこの何者なのかは現実には知らずに、相手のことを一方的に評価しているわけですね。

でも、それは言わない(苦笑)。

わざわざは「あんた、わきまえろよ。」とか「あんた、馬鹿だろ。」とは言わないし、言われない(笑)。

シャレで言い合える程に距離が縮まればいいとして、余程じゃなきゃ言わないでしょ?(苦笑)

 

「友達」という設定上の定義が曖昧な単語に基づいて、適当に当たり障りのないやり取りしながら、一方的に「馬鹿」をずっと認識され続けるリスクは分かっておいた方がいい、ということを、車内販売のお姉さんにコーヒーを注文している姿さえも馬鹿に見えてしまうオッサンに教えられるのでした(笑)。

こういうのは、リアルでもソーシャルでも変わらないですね(笑)。

 

以前、カッコ良く生きていたい、と思って疑わなかった頃、尊敬していたある方に言われたのですが、「ツヴォイ、もう分かってるとは思うけど、カッコ良いってことは、カッコ悪いってことだぞ。お前が、お前のカッコ良さを追求して実現に向かえば向かうほど、カッコ悪くなるってことは、今から分かっておいた方がいいぞ。」と言われたことがありました。

その時は、分かったような分からなかったような、よく分からない感じでしたが、その後、やりたいようにやっている、あるいは、自分らしさを貫いて生きている(ように見える)人は、こちらから見たら、滑稽であることが分かるような気がしてきて、そして、誰であろうと、言ってくれたその本人が最もそれを具現化してくれる場面で立証してくれて理解に至る出来事があったのでした(笑)。

 

多くの人が、自分の基準の「思い通り」「やりたいように」「好きなように」「楽しく」で生きたいと思っていると、私は思っています。

しかし、それは、実現した状態であればある程に、他人から見たら滑稽でカッコ悪く、救いようのない馬鹿だと思われることと同義だという可能性があることだけは分かっておいた方がいいと思うのです。

私なんて、相当に馬鹿で滑稽に思われていると思っているし(笑)、まぁ、だから、そもそも馬鹿だからいいや、とは自覚してるんですけどね(苦笑)。

 

人の価値観は時に自由で、時に残酷をもたらしてくれて(苦笑)、でも、時々、いかにもやりたいようにやっているように見えて、でもそれがカッコいいと思える羨むような人もいるわけで、それはなんでそう思えるのか?は自分の価値観を明確にする上で探求しがいがあると思っています。

 

そんなこと考えてるうちに、東京駅に着いてしまって、オッサン達も一緒の方向にヒョコヒョコと歩いているその後ろ姿を見ていたら、なんだか気のいい無垢な愛すべきオジサン達に思えてくるのでした(笑)。

 

人の価値観こそは千差万別ですね(笑)。

よって、私は、どうせ同じアホ、どっちみち馬鹿なら、発信し続けるアホで、伝え続ける馬鹿でいようと、今のところ決めている次第です(苦笑)。

同じアホ、どうせ馬鹿なら、どうしたいかだね(笑)。
応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

  • follow us in feedly
ページの先頭へ