雑音は気にせず登ればいいのです

25年前に家業に戻って、業績不振の状況を何とかしなきゃいけない一心で、

様々なセミナーや勉強会に参加していました。

 

私が、苦しそうに、無理しながら、でも何とか逆境を越えようと、忙しそうにする姿を見た友人A君が、

「全然成果に繋がらないのに、なんでそんな、忙しくして、勉強会ばっかり行って、無駄なことばっかりやってんの?結局、お前は何がしたいの?」

と聞いてきました。

 

私は、その時に考えていた将来のビジネスモデルを喋りました。

「これができたら、こうしてこうして、こういうビジネスがしていきたい。その為には何よりまず家業を黒字転換するのが順序だと思うから。」

 

質問に対して、日頃から考えていた未来構想だけに、簡潔に端的に答えてしまった私に、

「ふーん、それがしたいのね。今、自分が言ったこと忘れるなよ。」

と、冷めた目で、そんな夢みたいなこと、口で言うのはいいけど、どーせ無理だろうけどな、とでも言わんとするように言いました。

私は、なんだか少し悲しい気持ちと、ちょっとの不安が積み重なりました。

 

確かに、経営者としての訓練や知識に費やし、偉そうな講釈ばかりが板についてくる私の姿は、他人から見たらそう見えて当然なわけで、

言ってみれば「口だけ達者」だけど、何も実績はない奴だというのは、

私自身も自分に対して疑心暗鬼の気持ちは拭えぬまま、やっていることは何とか自己肯定し続け、とりあえず前に進もうと、

せいぜいそれが精一杯の状況でした。

現実的には、考えれば考えるほど、健全な経営状態にするには、何層もの暗雲立ち込めているような状況があるだけでした。

 

それから数年が経ち、結果、私は50年の歴史をもつ家業を廃業するに至りました。

今から15年前のことです。

 

「どうすんだ?どうすんだ?大丈夫か?大丈夫か?、私で良かったら力になるから。」とまるで心配するかのように連絡をしてくる人は、いてくれました。

次に何をするのか決めておらず、周りに気丈に振る舞うものの、心の中は不安だけが充満しながら過ぎ行く日々から逃げたいばかりの私は、ありがたい、と藁をも掴むような気持ちで、会いに行きました。

お会いできた方達は、

「ほんで、どうしようと思ってるの?私にできることは協力させてもらいたいから。」

と聞いてはくるものの、私が考えているいくつかの候補を喋ると、

「そんなことやってもダメなんじゃない?だって、そもそもさ・・・・。勉強会とかばっかり行ってないで・・・・。」

と言っては、あとはその人の自論や私見やビジネス論を述べられて、あるいは説教されては、最後には、

「まぁ、頑張れよ。できることがあれば協力するから。」

という文言だけは共通していました。

 

(いや、できることを考えてもくれないし、協力なんてする気は最初からないんじゃねーか。要するに、こいつら、俺に偉そうなことを言いたいだけなんだよ。)

会えば会うほどに、当初の私のありがたいと思っていた気持ちは、徐々にひねくれていきました。

 

その後、リサイクルショップの企画している方達とのご縁を頂き、資本も出し合い、私は社長という立場を頂き、関わることができました。

廃業の翌年の、15年前程のことでした。

 

色んなことがあり過ぎて、とても書ききれないような、怒涛のような日々が過ぎ、

さらに数年後、急ピッチの5店舗目ができたくらいでしょうか。

 

そんなある日、あの当時のA君と久しぶりに会うことになりました。

その後の経緯を伝え合い、私はA君を店舗に案内しました。

私は、見慣れたはずの店舗を徘徊しながら、フと思い出しました。

「なぁ、今思い出したんだけど、これってさ、お前といつか話してた『将来何をしてたいか?』の時、俺が偉そうに言ってた通りになってねーか?」

A君は言いました。

「うん、覚えてるよ。っていうか、今、俺もその時のことを思い出してた。お前は、その通りにしたんだよ。」

その言葉を聞いて、半分は嬉しが込み上げ、そして、正直に言うと、半分は「人なんてそんなもんだよな」とも思いました。

 

さらにさらに怒涛のような日々が過ぎ去り、そして、10年が経ったある日、

店舗は30店舗になっていて、スタッフは700名ほどになっていて、

そして、株式上場をさせて頂きました。

今から5年前のことです。

 

多くの方から過分なお言葉とお祝いの言葉を頂きました。

印象に残るのは、廃業当時に何の力も貸してくれなかった方達の、

「あの時から、私は、君なら絶対にやると思ってたよ。」

「やるとは思っていたけど、いや、大したもんだ。素晴らしい。」

「ぜひ今度、その経験を教えて欲しい。」

といった言葉の数々でした。

 

もちろん、嬉しい気持ちも、誇らしい気持ち、気恥ずかしい気持ち、感謝の気持ちがほとんどでしたが、

でも、やはり、

「あぁ、人って、こんなもんなんだよな。」

という気持ちも明確に認識するのでした。

 

その人達が良いとか悪いとか、そういうことではなくて、

私も含めて、人なんてそういうもので、それが普通で健全なんだよな、ということです。

 

できれば、落ち目で悩んで苦しんでいる相手には、何となく面倒で関わりたくないというのが本音だろうし、

大きな成果を、実績として目の前に立証されれば、まるで自分事のように、祝福してくれるのです。

そして、私は君と、関わっていたと。

今だろうが、遠い昔だろうと、私は君と知り合いだ、友達だ、素晴らしい、自分のことのように誇らしい、自慢だと、まるで自分のように言ってくれるのです。

私も、誰も、人っていうのは、そういうもんなんだ、と。

 

その時にどんなに正論じみたことを喋っていても、大して深くまで考えてなんていないし、覚えてなんてもいないし、

目の前に現れた状況や環境によって、平気で、言うことなんてコロコロと変わるのです。

そう言う生き物なのだと。

 

私だって、こうして、経験値に基づいて、さも確信めいた言葉で偉そうに書いているけど、

私なんて、明日の何かの出来事や、影響されたことで、コロっと変わるなんてこといくらでもあるでしょう。

 

「家業廃業」も「株式上場」も、どちらも事実です。

私個人にとっては、

廃業の事実は、あの時の経営者としての意思決定としては最善の選択であり、手柄であり、誇りでもあります。

しかし、殆どの周りの評価は、

口だけ達者の最低の後継者でした。

 

私個人にとっては、

株式上場の事実は、もう二度と目指さないという価値観を得たものであり、

しかし、殆どの周りの評価は、

立派で、素晴らしい経営者でした。

 

そんなもん、なのです。

実際に経験した本人の自己評価と、それを見ている他人の評価は、必ずしも一致しないのです。

 

 

で、何が言いたいか?

 

もし、あなたが、階段を登っているとしたら、

登っている時というのは、当然ながら、登っている途中なのだから、

行きたいフロアには、当然まだ行けていない。到達していない。

行けるかどうかも、他人もあなたも実際には分からない。

だから、行けるように、自分を鍛える。

時に、自分一人で。

時に、人の力を借りながら。

 

その姿を見た他人は、もしかしたら、つべこべ言うかも知れません。

「そのフロアに行くべきでない。」

「そのフロアになんて行けるわけがない。」

「お前には、そのフロアに行くのは無理だ。」

 

言うだけならまだしも、ご丁寧に傷口に塩を刷り込むような奴もいるかもしれません。

 

成果も出ていないのに、そんなことばっかりやってるからダメなんだ、と言うかも知れません。

 

そしたらね、

 

ありがたい、と謙虚に受け止めはしましょう。

素直になって、聞く耳もって、しっかり聞くだけは聞きましょう。

ありがとう、と言うだけキチンと言いましょう。

 

そして、

 

そして、気にせず、また登りましょう。

一切、気にせず、黙々と登り、淡々と進みましょう。

周りの無責任な雑音に気を紛らわせることなく、ただ一つ一つ、一歩一歩、一段一段、進みましょう。

あなたが行きたいフロアに着くまで、ただただ、ただただ、登り続けましょう。

他人の雑音など、気にせず、放っておきましょう。

あにたは、あなたのステージに登り続ければ良い。

 

そのフロアにあなたが行くことを決めていて、登るために、必要だと選んだ何かがあれば、

誰の責任でもなく、自分の責任で登れるだけ登れば良い。

 

つべこべ言う人は、あなたのことを思ってくれているだろうし、あなたを心配こそしてくれても、

でも、あなたの代わりに、あなたの責任はとれないのです。

 

私も、つべこべ言うかも知れません。

きっと言うでしょう。

でも、聞くだけ聞いて、それでも、あなたが登るなら、

私の言ったことなんて放っておけばいい。

そして、登ればいい。

 

もし、登れた時には、私もきっと言うのです。

「君ならきっとできると信じていた。おめでとう。」

と。いけしゃあしゃあと言うのです。

 

きっと、それでいいのです。

なぜなら、私は、人とは、そういうものだと思っているから。

 

 

そのフロアには行けないかも知れません。行けるかも知れません。

それは分かりません。知りません。

でも、一つだけ言えること。

あにたが、「階段を登った」という事実だけは確実に残ります。

そこから気づいた、誰にもない、あなただけの価値は確実に手に入ります。

 

何よりも尊く、誰も立ち入ることも、奪うこともできない、かけがえのない価値がそこにはあると、

今のところ、私は、そう思っています。

 

雑音は無責任。放っておいて勝手に進もう。
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