それをわざわざやっている自分をちゃんと見つめたい(苦笑)

 全ては、やってもいいし、やらなくてもいいと考えてみる

人は、言っても言わなくてもいいという選択肢がありながら、わざわざ「言う」という行為をしているし、

やってもやらなくてもいいという選択肢がありながら、わざわざ「やる」と意思決定してやっているし、

書いても書かなくてもいいけど、わざわざこうしてブログを「書く」という行為をしています。

 

 その人の何がそれをさせているのか?

個人の考えや主張に関する情報発信の全ては、出しても出さなくてもいいわけで、

私が興味を持つのは、大切な人生の時間を使って人と関わっていく上で、

わざわざそれを言う、わざわざそれをやる、わざわざそれを書く、という行動・行為は、

その人の何がそうさせたのか?ということにあります。

それは、その人が言っている表層の言葉じりだけではなかなか分からないから、

よくよくよくよく質問して聞いて、その人の脳の中にある何か見えないものを何とか見ようとしないと、私は分からない(苦笑)。

だから、面倒くさいと時々言われます(笑)。

 

 発信は全て自分の自由意思

例えば、「私はあなたが気に入らない。嫌いです。バカにしています。」と認識する相手がいるとします。

それは、誰もが持っている固有の価値観なので自由だと思っています。

次に、それを相手に「言うか言わないか」というのは選択があって、その選択は自由です。

言うとして、次に、どの言葉を「使うか使わないか」という選択があってその選択も自由です。

 

①「感じる」→②「発信する」→③「どの言葉を使う」

という順序において、②と③は本人が自由に選択できます。

 

脳で感じてしまうことは免れないとは思いますが、発信と言葉は選択できるので、いわば本人の自由でやっていると仮定するなら、

その自由の中に、本人ならではの美学や哲学やセンスという、属人的な価値が宿っている気がしてなりません。

 

 自由の中にこそ、その人が出る

同じ自由であるならば、人に対してどうありたいか?

そういう思慮や、人社会で自分が標榜している自分の在り方というものが、モロに出てしまうのではないか?と思うのです。

そこに、強烈な興味深さを覚えてしまうのです。

例えば、

「赤い花が好きで、黄色い花はそうでもなくて、青い花は嫌い。」だとします。

「赤い花が好きで、どうして好きで、だからその価値を伝え、おススメしたい。」

とだけ言ってればいいのに、

「黄色い花はどうでもいい、青い花は私は嫌いです。なぜならこれこれこうで、だからダメだ、やめておけ。」

とわざわざ言いたくなる人は、いるにはいます。

言っても言わなくてもいいことなのに、わざわざ「言う」という選択を一つ一つしていく人と言えます。

言うのも自由だとして、でも、私は、なぜ、その人がわざわざ言いたくなるのかという脳の選択過程が、私にはなかなか理解できなくて、

同じ霊長類ヒト科として、とても興味が湧いてしまうということです(笑)。

 

 「好き・嫌い」と「興味ある・ない」は別

仮に、「ツヴォイのことが嫌い」な人がいたとして(笑)、

(実は、言わないだけで、世の中に一杯いるんじゃないか?と時々得体のしれない不安に襲われる(苦笑))

ご丁寧に、それを、言葉をはじめ、態度や行為も含め何らかの情報発信によって、ご丁寧に伝えて来てくれた人(笑)がいるとします。

それはそれで、こんな私でもショックだし(笑)、面倒くさいんだけど、

でも私としては、私のことが嫌いなこと自体は、それは価値観の問題だからしかたないと諦めるとして、

(さらに、私も自分のことを「嫌いだ」と言ってくる人なんて絶対に好きにはなれないというのはあるにせよ(笑))、

でも、なぜ、それをわざわざ伝えようとしたのか?という、その人の脳の在り方や、その人の譲れない価値観、

要するに、それをわざわざ選択して、言うことによって、その人は「何を得ようとしたのか?」、あるいは、それを言わないと「何を失うことになるのか?」という、

一人の個体として、とても興味が湧いてしまうということなんですね(笑)。

 

だって、意図的に、他人に対する悪感情を他人に伝えたとして、それをすることによって素敵な人生が花開いて、幸せな一生を送れるなんてこと、私の普通の基準ではあり得ないわけで(笑)、

むしろ不幸せになる選択なんだと私は思っていて、不幸せまっしぐらなんてあり得ないことに、わざわざ人生時間を使ってやっている人ってのは、

これは相当に興味深いわけです(笑)。

 

だから、時として、私のことを、わざわざ嫌いだと言ってくれる人に、

「ねぇ、ねぇ、どうして?どうして私のことが嫌いなの?嫌いなのはいいとして、何でそれを言う選択をしたの?それはあなたの何がそれを言わせるに至ったの?ねぇ、ねぇ、どうして?どうして?教えて。」

となってしまって(笑)、傍から見てると、私はまるでその人のことが大好きにように思われるんじゃないか?となることはあるにはあります(笑)。

そんなもん、自分のことを嫌う人なんて、感情的には、こっちも嫌いでまっぴらごめんに決まってるじゃないですか(笑)。

 

って言うか、そういう面倒くせぇこと言ってくるから、嫌ってくるんじゃないか?と思うんですけどね(笑)。

そーか、だから、俺は嫌われるんか(笑)。人気がないんか(笑)。

 

 人生をかけて絶対に譲れないものがあるか?

でもね、「独自の価値」だの何だの、それがこれからのビジネスには不可欠だ、などと本気で言っている手前、

そこは、個人的な感情とは別に、とても大切な要素だと思ってるわけで(笑)、

これはもうどうしようも仕方ない(笑)。

 

「それを言うことで、自分は何を得ようとしているのか?」

「それを言わないと、自分は何を失ってしまうのか?」

これって、人生ビジョンにせよ、事業コンセプトを創っていく上にせよ、とても大切だと思っていて、むしろ不可欠です。

そう思っているので、話をしていて「面倒くせぇなぁこいつ」と思ったら、ゴメンナサイ(苦笑)。

 

ということを、私は、商店街でピンクパンサーを見つけて、やってもやらなくてもいいのに、なぜこんなことをしているのか?

撮っても撮らなくてもいいのに、なぜわざわざ撮ってもらうのか?

その画像を出してもいいし出さなくてもいいのに、なぜわざわざこうして出してしまうのか?

それをすることで何を得ようとして、しないと何を失うのが恐いのか?

ということをちゃんと考えておかないと、と思うのです(苦笑)。

いや、アホだと思ってんだろ?

でも、あんたも、どいつもこいつも、同じなんだってばよ(苦笑)。

アホだから、で片付けるわけにいかない(苦笑)。
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