人は「一人」か「一つ」か

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周りの人が、自分の思い通りにならないからといってイライラしたり、憤慨したり、怒っていたり、困ったり、悩んでいる人に、「じゃあ、周りがいつも自分の思い通りのままに生きている、すなわち、全ての環境があなたの思い通りに巡っていてくれたら、あなたは幸せなんですね?」と確認すると、「うん」とは言わないから不思議だ(笑)。

どうやら、そうでもないらしいようなので、話を聞いていると、適度に難関や障害もあって、誰かに役立っているという自負や、ありがとうと感謝もされたくて、誰かの成長や幸せにも自分が貢献していたいらしいので、あぁ、もう面倒くせぁなぁとばかりに「だから、それも含めて、周りが自分の思い通りに都合良く動いてくれたり生きていてくれればいいと思っていることでいいんでしょ?それが思うように叶わないから、怒ったり、悲しんだりするんですよね?」と追い討ちをかけてみることは時々あります(苦笑)。

その段階でも、まだ「うん」と言えない人と、何かに気付く人とでは、その後の、人との関わり方や、関わりによって発生する感情に違いがあるような気がします。

こういう質問の連続の中から自分に気付くことを謙虚になるとか、分をわきまえるって言うんでしょうかね?

知らねーや(苦笑)。

前提として、「人は一つ」なのか「人は一人」なのかという二極の考え方の違いは大きくあるようで、それは、些細な日常の中の出来事に対する感情で判断できることの方が多いですね。

どっちが正解かなんてのは私も分かりませんが、根拠なく「人は一つ」と信じ込んでいる人や、理想だけ持ってて何もしていない人は、相当キツイ人生なんじゃないかなぁ、と思うことは多々あります。

私は、人はそもそも一人で生まれてきて一人で死んでいく、すなわち、「人はそもそも一人ぼっちが前提」という考え方を持っていて、一人ぼっちが前提であるがゆえ一人ぼっちだと実感することに大きな悲しみはありません。

他人と本当に厳密に一つになれることはないと思っているので、だから、様々な局面で理解し合えるよう、チャレンジの連続をしているだけと思っています。

チャレンジが前提なので、必要以上に、落ち込んだり嘆いたりは今はありません。

ちょっと凹んで、でもまぁそのことは諦めて、次へ向かった方が賢明だと思うのです。

私が、もし、前記した同じ質問、「要するに自分の思い通りに全ての環境が整ったら幸せなのですね?」と問われたら、クソ思いっきり「うん!」って元気良く答えるんですけどね(苦笑)。

人は、どんなに他人の幸せや喜びを前提にして考えたり動いたりしても、煎じ詰めれば、自分の人生の範囲の中からでしか考えそのものが出せませんから。

そういう意味で、私は、他人の喜びや楽しさや豊かさを前提に、生き方や仕事を考えれば考えるほど、自分の幸せ観や人生観の規定内に他人様を括ろうとするなんていう、とんでもないエゴイズムも同時に実感するというジレンマにも襲われたりします(苦笑)。

だから、自分はクソ思いっきりワガママなんだ、ということを自覚して、チャレンジや実験をさせて頂き続けるしかない、と思っています。

 

要するに私はワガママ(苦笑)。
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