変化したいなら捨てる行動を先に決めないと

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変化するということは、変化する前の何かをしなくなる、ということと同義です。

自分が変わることの大切さ、重要性は、誰もが知っています。

私の知る限りほとんどの人が既に知っています。

変わらなくちゃいけない、と誰もが口では言えるのです。

ところがなかなかできない。

何故できないか?と言うと、変化することによって捨てなければならない習慣化した何かを選択することができないから、というのがほとんどです。

基本的に動物は変化を嫌うという性質があるのに加え、それまで慣れ親しんできた無意識の習慣を変えるなど並大抵ではないと私は思っています。

変化というのは、口で言うことが変わったこととか、自分の頭の中の考え方が変わったとか、そういう自覚を言うのではなく、他人から客観的に見て明らかにその人の行動行為が変わって、さらに一定期間続いたという事実がなければ、「変わった」とは認識されません。

行動を変えるということは、それまでしてきた何かの行動を止めて、新しい行動を起こすということです。

さらに、一定期間続けるということです。

 

変化をする、ということは、変化する対象を選択するのではなくて、まず、今までやってきたことの何をしないかを選択することになります。

24時間の中で、手に入れていた何かを捨てる選択をまずしないことには始まらないということです。

新しい行動は起こしたい、でも今までの行動は捨てたくない、と両方を選択しようとするから、画像のように吊り橋の上で引っ張り合いになる(笑)。

私はそう思っています。

だから、何か新しいことをする時、あるいはさせようとする時は、それまでしていた何をしないか?を同時に決めることとセットなのです。

よく、部下に対して新しくやらせることはドンドン増やすが、やらないことは一切決めない、全部やれ、というリーダーがいますが、私はよほどの能無しか、あるいは、新たにやることに対して本気ではないんだろうなぁと思って見ています(苦笑)。

例えば、朝礼でやることを、研修か何かで学んできては増やしまくって、今までのも全部やれというアホがいますが、増え続けた結果、朝礼だけで、あんた2時間かけるつもりかい?みたいなことが横行します(苦笑)。

では何故今まで通りの時間で済んでいるのかと言えば、現場では適当に手を抜いているからです。

そういう程度になり果てます(苦笑)。

 

話を戻します。

今まで手に入れていたもの、培ってきたものの何かを手放すというのは、それは実に苦しい選択とも言えます。

口で言うのは簡単ですが、人によく思われたい自分や、それまで培ってきた人間関係や、不義理をせねばならない、あるいは、そのせいで誰かに迷惑や負担をかけるかもしれない、誰かの労力や努力を一旦反故にせざるを得ない、そういうことが絡んでくると、もう尚更です。

決めることの最大の難関は情なのです。

これがキツイ。

だから、できないのです。

情を割り切る覚悟がない程度なら、変化は諦めた方がいいでしょうね。

そうしないとストレスでおかしくなります。

 

もう一つの方法はあります。

環境や立場をゴッソリ変えてしまうことです。

ゴッソリです。

 

社長が副社長になる程度では変化は難しい。

社長が会社を辞めてプータローになるくらいが、人は変化とやっと見なします(笑)。

あるいは、一定期間、どこか缶詰めになる研修に出るとか、一方的で理不尽な強制の運営手法の勉強会に参加するとか、そういうのです。

(私の経験則では、そういう研修程度では結局変わりませんが(苦笑))。

 

私が忘れた頃に山籠りとかして一人になろうとするのは、一旦全部手放してみて、何もない環境に身を置いた時、切なくて、悲しくて、どうしようもないくらい耐え切れない程の対象は何なのか?を自覚する為です。

それは結構、誰にも言えないことだったりするので、自覚するだけでいい。

なぜなら、例えば、家族に対して、会えないことがそんな苦痛でもなかった、友人に対しても連絡が取れないことがそこまで大した問題ではなかった、ただ革ジャンとジーンズとブーツが手元にないことが何より辛かった、なんてことは、家族や友人に言うかと言えば、言わない方がいいに決まっているからです(苦笑)。

例えば、ですよ(笑)。

 

話を戻します(苦笑)。

どうしても手放せないほどに最も大切な対象以外は、もう別にどうだっていいや、と割り切ると楽です(笑)。

なぜなら、いちいち切り捨てていく優先順位を決めずに済むからです(笑)。

変化するにあたって、これだけは絶対に譲れないけど、あとは別にどうだっていいや、どうせいつか死ぬんだし(笑)と、無責任に腹がくくれます(笑)。

安心して新たな行動と、それに代わる捨てる行動が分かりやすくなります。

極端な、と思うかもしれません。

でも、私の経験則で言えば、それくらいしてもよほど大丈夫です。

なぜなら、そこまで自覚したところで、本当に新たにする行動以外は、しなくなるなんてことは現実にはないからです(笑)。

家族に文句言われりゃ何とか対応するし(笑)、冠婚葬祭があれば何とかしなきゃと思うし、テレビやパソコンをボケっと見ている時間を無くそうと思ったところで、やっぱり適当に都合の良い理由をつけては見るし、友人との関わりもできる範囲でしちゃうものなのです(笑)。

 

ただし、これは本来やろうとしていたことではないな、という意識だけは芽生えます。

これは、お付き合いであって優先順位からは外れるな、だからこれからは上手いこと逃げよう、とか、そういう自覚ができることが大きいです。

 

まぁ、いずれにしても、変化するということは、それまで手に入れていた何かを一旦捨てることと同義なわけですから、それがしたくないうちは、「これからの時代は自分が変化しなきゃねぇ。」と一応口ではお付き合い上言うけれど、本当に変化はしなくていいや、と自覚しておくと、自己否定などせずに生きていけるのでおすすめします(笑)。

 

と、はたからどう見ても、一人お遊びとしか思えない山籠りを、後付けで自分の都合の良いように肯定解釈し、そして、やったあげく、その成果はあったかと言えば、何を決めてきたかというよりも、相変わらずグダグダで行こうという自分を自覚した程度だったのでした(苦笑)。

別にいいよ、嫌なら無理して変わらなくても(苦笑)。
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