予想よりも大きかった「ミニ氷」から推察する「定性」と「定量」の関係性(笑)

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名古屋に戻ったけど、名古屋で予定してたことが急遽変更になって、時間に余裕できて、

ちょうど読みたかった本が手に入ったのでめくってみようと思いながら、

通りがかった喫茶店のガラス面に「ミニ氷」の写真を見つけて、

「ミニ」なら、ちょっと食べたいだけだからいいかな、と食べたくなって、入って頼んだら、

 

 

普通にデケーじゃん(笑)。

デケーよ、これ(笑)。

私の中では「ミニ」とは言わねーよ、この大きさ(笑)。

 

物事には「定性」と「定量」があって、

例えば、「子供に勉強ちゃんとやってんのか?頑張ってるのか?」と聞けば、必ず「うん、頑張ってる」と言うに決まってるんだけど(笑)、

算数ドリル(今でもあんのか?)を1ページやっても頑張ったと言うし、20ページやって頑張ったとも言うんだから(苦笑)、

正確には「お前は今日は算数ドリル10ページやったのか?」と聞かないと、やったかどうかは互いに情報を共有していないと言えるわけで(笑)、

同様に、

例えば、店舗や営業所を各地に展開している会社の社長やリーダーが、

各所の結果の数字・業績だけ見て、

良い結果のとこには「うむ、お前のところはよく頑張ってるな」

悪い結果のとこには「お前はちゃんと頑張ってるのか?」と聞いたところで、

皆が皆、自分の基準では精一杯頑張っているので(笑)、

「私は私で頑張っています」「私だって頑張っているのに」

となるか、ひどく落ち込むかとか、そうなる(笑)。

その程度の評論なら、誰だってできるわけで(苦笑)、

よって、「頑張った」とか「ちゃんとやっている」とか「当たり前のことを当たり前にやる」「楽しい」「華やか」「癒される」といった、そういうとても大切ではあるけれど、個人の感覚的、あるいは属人的な要素を「定性的」というなら、

誰でも客観視できるように、数値化したり可視化したりして、「100回」「70枚」「10m」と、具体的にやったかやらないかを判断できる基準をもうけるのが「定量化」なわけで、

多くの人と情報を共有するには、私はどちらも必要だと思うんだけど、

でも、頭ではそんなこと誰でも分かってんだけど、

ついつい、無意識のうちに私も人も好みの方によってしまって、

時に気分と感情丸出しの気合論だけ、時に人のこと機械だと思ってんじゃねーのか?のような面白くも何ともない指示だけ、という風になってしまうから(笑)、

だから、会議やミーティングやセミナーとかの場では、

伝える側やリーダーの事前準備ってのは、多くの人と情報を共有できるように、

まずは自分の「定性」と「定量」の基準を明確にしておくことが大事で、

きっと、「ちゃんと考える」という曖昧な言葉(笑)の本来はそういうことで、

それを自分で分かっておくようにすることが、本来の事前準備という曖昧な言葉(笑)なんだろうな、

と頭の中で思いながら(笑)、

じゃあ、この「ミニ氷」のイメージの「定量化」は、私ならどうすべきか?

よくあるショーケースにある「ロウの見本」もそうだけど、季節商品だからなぁ、とか、

せめて写真で、他の一般のものと比較できるように撮って別メニューを用意するかなぁ、とか、

どーでもいいこと考えながら、

気づいたら、肝心の本読むの忘れてました(笑)。

 

結果、私は、目の前に現れた面白そうな現象に惹かれて、本来の目的を遂行できない人だということが分かりました(苦笑)。

 

 

でも、予想よりも随分大きかった「ミニ氷」は、全部食べました(笑)。

 

大きめのカキ氷は普通に食べました(笑)。
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