日常を非日常に見れるかどうかに自らの価値のヒントがある

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全国あちこちに仕事か遊びか分からないながらも(苦笑)色んなとこに出かける機会に恵まれて幸せを感じます。

そんな中、私にとってはドキッとするような場面に出くわすことがよくあります。

それは、特別、観光名所とか、行きたかった場所・狙った場所とかいうわけではなくて、移動中とかのごくごく日常の場面だったりします。

それが、オフィス街の帰宅ラッシュの時間であろうもんであれば、足早に歩く大勢の人の波に出くわしたりして、

反対側から迫り来る急ぎ足の雑踏に飲まれながら、私にとってはどんなに新鮮で非日常の場面でも、地元の人達にとっては何の変哲もないありふれた日常なんだろうなぁ、と思わずにはいられなくて、

その対比が特に自分だけの宝物を見つけてしまったような気になって、一時の価値が高まるような気がします。

こんなにドキドキする風景が日常の喧騒にかき消されていくなんて、もったいないなぁ・・・・・・、と思いながらも、でも、そんな刹那にフと思ったりもするんですね。

私は私で、日常の当たり前だと思っている中に、何かスゲー大切なものを見逃しちゃってるんじゃねーかなぁって。

名古屋にいながらにして、あんまり名古屋にはいないことの方が多いのですが(笑)、でも名古屋にいればいたで、いる時ほどあまり出歩かずに事務所でおとなしくしたり、出かけるからには何かしら目的がある訳で、余裕などなく急ぎ足になって、その景色は何の変哲もない日常になっている。

まぁ、誰もがきっとそんなもんでしょう。

自分以外の誰かを見て、いつもの中にこそある何か大切なものを見逃しているんじゃないか?と思うということは、そっくりそのまま誰かから見た自分にも当てはまるのです。

よく海外に行った人が日本の良さを再確認してしまうように、例えば地元の良さとか、近しい人の素晴らしさとか、本当は手元に会ったり、目の前に会ったり、近くにあったりする輝く価値を、自らが見逃して陳腐化させてんじゃないだろうか?と気づかされたりするんですね。

それは、同様に、自社の価値とか、自店の価値とか、そして何より、最も近いであろう、自分自身の輝かしい価値とか・・・・・・。

こういう時に、一人一人の誰にも、その人しかない価値がある、ということが言葉だけじゃなくて確信に変わったりします。

自分が思っている価値じゃなくて、他人から見た自分の価値とは何か?に気づけるかどうかってのは、人生を左右するほどに大きいんだろうなと思うのです。

まぁ、そんで、私にも私にしかとんでもない価値がちゃんとあるに違いない、と自分に言い聞かせるに至るんですけどね(笑)。

でも、まぁ、そういうことだと思うんですよ。

てなことを考えながら、人ごみが途切れるのを待って、奇跡とも言える自分だけ写った一枚を撮ったはいいけど、パンツがイマイチずり落ちてて(苦笑)、でもこれ以上は面倒くせぇし、さすがに恥ずかしいからや~めたと諦める自分に果たして価値などあるのだろうか?ともう一度、疑心暗鬼状態に陥るのでした(苦笑)。

パンツがずり落ちてても価値はあるのさ(笑)。
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