全ての物事には「始まり」と「終わり」があると割り切ってみる効果

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大阪で、期せずしてチンチン電車に遭遇できて大はしゃぎでした(笑)。

まっすぐに続くように見える線路は、どんどん進むと恐竜帝国とか海底都市とかに続いているんじゃないか?と思えて(笑)夢があって好きですが、一見どんなに続いているように見える線路も、現実には、「起点と終点」がしっかりあるわけです(苦笑)。

「線路は続くよどこまでも」なんて歌は、そういう心を持っていたいと言えば持っていたいですし、あれはウソと言えばウソでもあるということですね(笑)。

一般に「夢」とか「ビジョン」とか「理念」「志」といった言葉に代表される人生を賭けて追い求め続ける方針は大事だと思っていますが、私は、もう片方で、「起点と終点」あるいは「成果基準と評価基準」といった「始まりと終わり」の意図をもつことは同じくらい大事だと思っています。

ビジネスの現場において、どっちが難しいかと言えば、現実的には「起点と終点」と概念を持って事に当たるという方が、経験則上は難しいと思っています。

例えば、業績を上げるために何をするのか?という案だしはいろいろ出てくるとして、いつまでに、どういう成果を上げる為にやるのか?という設定は、どの案で行くかの意思決定までが精一杯で、結局行動しないか、行動しても、それが良かったのか悪かったのかの評価ができなかったり、

評価ができないから、修正や課題が見つからなくて、また次のこと考えて、その堂々巡りになって、何をやっても上手くいかない・・・・・、というスパイラルにハマっていく・・・・・、というのが現実では横行してしまっているような気がしています。

そんなもん最初から考えずに、やるだけやって後は結果だ、出たとこ勝負だ、と本当に割り切ってしまえばいいのですが、そういう割り切りを徹底できるか?となると、現実のビジネスの現場では、これはこれで、共有ができないとか、評価する時に困る等の問題は付きまとって、これだけでは現実的には不可能です。

目標を決めたり、期間を決めたり、その評価を都度するというのは、大なり小なりクセ付けしといたほうがいいというのが、今のところの個人的な結論です。

「評価」というと、頭に浮かぶのは、誰かが誰かを「良い・悪い」とか、「賞与」とか「条件」「昇給」といったイメージが付きまといますが、ここで言っているのは、思考上の問題です。

「起点と終点」の思考や概念というのは、時間軸の大小にかかわらず、「生と死」といった死生観にまで相通ずるとこがあると思っていて、それは自分がどう生きるかという大論にも繋がります。

だから、他人からどう評価されるかという問題よりも、自身の脳内で「くせ付」しておくと、自分の生き方をより良くできる思考ができてくるメリットが大きいと思っています。

これが日常でパッとできる人は、私の知る限り、そんなにいませんが、逆にできる人が社会で活躍したり、成功していたり、周りから高い評価を得ている人と言い切れます。

戦略思考とかシナリオ思考とかセルフイメージとか、そう言われる脳の活動ができている人です。

「成果状態」とか「目標」とか、言葉はどうでもいいのですが、そういう具体的数値や事象を聞くと、あまり言いたがらない人が多いです。

私も言いにくいのですが、何故か?を自問してみると

「未経験・初めてのことだけに予測すらもできないから責任ある発言ができない。」

「できなかった時に他人からの評価が気になる」

「できなかった時にできない自分をアホと自覚するのが恐い・見たくない(苦笑)」

「自分で言ってしまったら全力で頑張らなきゃいけなくて、それが面倒くさい(苦笑)」

「できなかった時に、自分のせいで誰かに迷惑がかかったらそれが耐えられない」

等々の理由が出てきます(苦笑)。

まぁ、それならそれで簡単で、「もともとアホだから別にどうでもいいや」とか、「誰もが初めてのことばかりなんだからいいや」とか、「まぁ、生まれつき人類の迷惑な存在なんだからいいか」とか、その程度で割り切れます(笑)。

業績を上げる為の方策に対して目標を自分で言ったところで、現実な責任と言えば、金銭的にリスクを負う立場の人というのは、中小・零細で言えば、一つの会社に一人程度でしょう。

だからほとんどの人は無責任に言うだけ言ってしまえばいいのです。

「成果状態」や「目標」の数値は、私の場合は、よく言う「エイヤー!」です。

無論、根拠や背景は必要でしょうが、それも限界があるし、それは代案だろうと同じです。

よく、「どうしてそれができると思うんだ?」「それは無理だろう?」と問うだけ問うと、評論するだけのリーダーがいますが、そういう人は決まって代案すら出さなくて、「他にないのか?」と問うばかりで、議論の対象にもならないですから、「なるほどなぁ、さすがですねぇ。」と言ってあげて、感心する顔だけしといて放っておきましょう。その方が時間が短縮できます(笑)。

アホにアホと言っても、アホはそもそも自分をアホと思ってないからアホなのであって通じません(苦笑)。

向こうからしたら、こっちがアホなのですから、アホ面こいとけばいいのです(笑)。

話を戻します。

なぜ「エイヤー!」でいいか?です。

私の経験則で言えば、ほとんどの人は、いくら「エイヤー!」で決めても、極端に大きな乖離は起こりません(笑)。

例えば、今期の売り上げ1億円の会社だとして、来季の数値目標を決めようとするとき、どんなに情報がない人であっても、実績1億だとさえ分かっておけば、「7000億円!」とは言わないし、「10円!」とも言わないからです(笑)。

目標というのは、私達は無意識のうちに上げ続けるものだという刷り込みが入っていますし(笑)、かと言って、ふざけていると思われるような数値も、ちょっとでも真面目な場ではなかなか言いにくいものです(笑)。

だから、どんなに「エイヤー!」で決めても、せいぜい前年比120%がせいぜいで(笑)、その根拠は、せんじ詰めれば結局「何となく」だったりします。

そんなもんです(苦笑)。

(これを、無茶苦茶の数値を言える人は、かなりの大物で、経験者で、実はとんでもないやり手。中小・零細の既存メンバーにはいないと思っていいと思います。)

そんなもんを当てに行くことが大切なのではなく、大事なのは「起点と終点」思考です。

一年後に「120%アップの1億2000万円」と一旦設定しまうことと、それをいつからスタートさせて、いつ終わらせるか?というのは大抵の会社は何となくやっていて、次をまともに進めていこうとすると、「どのように」となるはずです。

(まぁ、やれてないところの方が多いとは思いますが(苦笑)。)

「どのように」の案も、全て一旦「起点と終点」を決めてしまう。「エイヤー!」です。

この連続を一年続けてみることでしか、「○○思考」というのは絶対に鍛えられません。

他人から「あいつは口だけだ。」とか「言ったことができない奴。」と言われても関係ありません。

大事なのは「思考」を鍛えることなので、なんなら、言いたくなければ言わなくていいのです。

ただし、努力だけはする。誰から何言われようと、自分はやるだけやった、どっからでもかかってこい、と言えるだけの努力はする。

負けたら、負けたことを正々堂々受け入れるだけの努力はする。

「終点」である「成果に対する結果」を自分で見て、できてもできなくても、一旦、自分を「評価」して、次にどう活かすかを考えることです。

やっていくうちに、最初は大きかった「乖離幅」を少しづつ小さくしていく段階が、実力がついていく、ということになると思うのです。

これを3年やってみた人と、やらなかった人の思考パターンは雲泥で、圧倒的です。

○○思考というのは、恐ろしいもので、ある人はあって、いつでもパッパッとできてしまうし、ない人は欲しいと思っても、ないのだから全くありません(苦笑)。

小さいことで言うなら、「ブログを毎日書いて、今日からスタートで、一年後の8/31には365記事にしよう」、でスタートして、一年経って、できていないとして(笑)、だから「いい」とか「ダメ」じゃなくて(それは評論であって評価ではない)、だったら、一年365記事書くにはどうしたらいいのかと考えるもよし、一年200記事にしようでもよし、それは自分の意思と都合で決めればいいだけのことです。

ただ、これをやるには、一つだけ条件があって、それはその為の時間をしっかり作れるかどうかということです。

時間を作れる余裕が「ある・ない」となればあった方がいい、というかなければないわけで(苦笑)、それには、忙しくない方がいいわけで、だから私は、基本的には、数を売らないと成り立たない低単価の渦に巻き込まれるのは嫌います。

身体を使いながら、「起点と終点」をしっかり考えるというのは、自分にしても他人を見ていても、同時にやるのは一般には無理です。

以前は、組織の誰か一人が勝ちパターンを考えて、あとは全員何も考えなくて走れ!で良かったビジネスモデルはたくさんあったと思いますが、今は、それぞれが考えて行動して多くの事例を創るんだ!みたいな声が主流です。

身体を使うことは変えずに、思考は変えろ、などというのは、そんなもんは一般人には無理で、一旦止まった思考は簡単には変わりません。

考えさせたいのであれば、同様に考えるだけの時間をいかに与えるかとセットなのだと思いますから、それもまた難しいと言えば難しい(苦笑)。

だから現実的には難しくて、できることは日頃の些細なことからの「くせ付」になるというのが私の結論です。

ただ、理屈上は偉そうに書いてはいますが、私ができているか?と言えば、まったくできていなくて(苦笑)、だから現実的には難しいという話に説得性が出るわけで・・・・・(笑)。

だってできねーもん、なかなか(苦笑)。

まぁ、それが面倒だから、他の誰かと共有しなくてもいいから、一人を選択しているということになるんですけどね(苦笑)。

でも、「起点と終点」の思考は、できてる人はスゲーカッコいいし、頭良く見えるよなぁ、と思える価値観は明確なので、まぁ、それなりに努力はしていきたいと目論んでは、実験中ということですね(笑)。

まぁ、ノーリスクのサンプルとして見てて頂ければ嬉しいです(笑)。

って言うか、ここまで大層なこと書いといて、こういうチンチン電車が走ってる路って、道路なのか線路なのか分からなくて、車走らせてたら、道路交通法的にどうしていいか、相当困惑するだろうなぁ、という程度が現場でリアルに考えていたことではある、というのが本音なんですけどね(苦笑)。

線路はどこまでも続いてないよな、実際には(苦笑)。
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