目的に向かって登っているのか、登ることそのものが目的か?

上に楽しそうな何かがありそうな階段があると、ついつい登ってみたくなります(苦笑)。

階段を労力を使ってわざわざ登るという、言ってみれば、しなくても良い面倒な行為をする理由は、私の場合は大きく2つあって、

 

① 登ったらなんかいいことがある、あるいは、ありそうと予想させる何かがあると分かっていて、

すなわち、目的を達成する為の手段として登る。

 

② 登っていることそのものが楽しいとか嬉しいとか思えていて、

すなわち、登ることそのものが目的となっている。

 

のどちらかです。

 

まぁ、一番いいのは、① も ② も組み合わさっていることだとは頭では分かっています(笑)。

 

これは強いよなぁ、と思える人ってのは、登っていることそのものが嬉しくて楽しくやってる奴ですね。

例えば、

「勉強することそのものが楽しくしかたない」「仕事することそのものが楽しくてしかたない」「本を読むことそのものがとにかく楽しい」「セミナーに出ることそのものが何より楽しくて嬉しい」「人と会うことそのものが楽しくてしかたない。」

そういう人は、それそのものを本当に楽しんでいて(言ってみれば階段を登っているので)、

その向こう側に意味があろうとなかろうと、楽しみながら、知らぬ間に確実に何らかのスキルや知識や経験を身につけていってるんだろうな、と思えます。

 

逆に、私なんかは、時々はまるのが、なんか知らんけど、皆が楽しそうに登っているから、

一緒に登ると自分も楽しくなるんじゃないか?と思えてしまって、

なぜ自分は登っているのかを考えずに、とりあえず登っているのが楽しくて登り続けてしまうことです。

 

登った先にあるものが一つで、登る階段も一つなら、いいのでしょうが、

もはや、皆が皆一つの価値観ではないわけで、

上にあるものは様々で、一本繋がっている階段も一つだとしたら、

私は上に置いてあるものが何なのかをキチンと分かっておきたいのですね。

 

そこにあるのが、年代物の革ジャンなのか、女の子の流行のファッションなのか?

そこにあるのが、業績アップなのか、友達作りなのか?

それによって、そもそも自分が登る動機は全く違ってくるのだと思うんですね。

 

最初登っているのがどんなに楽しくても、私は途中ですぐ飽きるタイプなので(苦笑)、

そうなると、やっぱり途中で、そもそも上まで登ったら何があるのか?を考えてしまいます(苦笑)。

それが分かった上で、登る階段を変えることもあるし、

あるいは、同じ登るなら楽しいる方がいい、面白がれる方がいい、となって、アホみたいな工夫をします。

 

二階建ての建物がいくつもあって、それぞれに登る階段が一つづつあって、時間的にどれか一つしか行けない、という制約があれば、

私は、その方が健全だと思うわけです。

普通は、そういう順序で、どの建物の、どの階段を登るっていう風にしませんかね?

 

そりゃそうだ、と頭では分かっているものの、時々、やらかすわけです(苦笑)。

上にある本来欲しいものと、登る階段を間違える時が(苦笑)。

 

私は、これまでに、多くの経営に関わる書籍や、業績アップに纏わるセミナーや勉強会に参加させて頂く機会を頂いて、

片方で、そこで出会えた方々や、知り合えた人達とのご縁から多くのことを学ばせて頂けて、

今があることはその方々のお陰でとは心から思っているし、お返しできないほどの感謝も実感しているし、それは、かけがえのない財産を頂けたとも思ってはいます。

その反面、赤字が続いて不振にあえぐ家業の再建や、株式上場に纏わる業績アップをするという明確な目的がなかったら、

多分、そんな面倒くせぇとこには行ってないだろうな、とも思うわけで(苦笑)、

あげく、本も読んでなけりゃ、何もしてなくて、別のことやってたんだろうな、とも思うのです(笑)。

 

実は、「楽しい」の落とし穴はここにあったりして、

登るのが厳しければ厳しいほど、途中でやめたくなるし、何とか理由をつけて途中で抜けて、

そこまでしてやりたくねーや、と目的そのものを変えたりもするのでしょうが、

何かの手段である「登る」ことそのものが「楽しい」となると、目的があろうとなかろうと、楽しいものだから登り続けてしまって、

果たして自分がどこに向かっているのかも分からなくなっているのだけれど、

ま、いいじゃん、楽しければみたいな感じになって、

それで一生貫き通せるほど脳天気で死ねればいいならいいけど(笑)、

実はホントはこんなんでいいのか?と迷っている、とか、スッキリしていない、とか、そういうのだと、きっとツラくてシンドくなってきて、

登るのが楽しいはずなのに、登るのがだんだん楽しくなくなってきて、

別の階段を見つけて、楽しそうに登ってる人達がいるから、そっちに行って登り始めて、

でも、その上には何があるのかは、やっぱりちゃんと見てなくて、

でも楽しく登ってるからまぁいいや、となって、

でも周りの皆は、「なんで登ってるのかは、上に◯ ◯があるからさ。」と、見えてて登ってるのが分かってきたら、自分だけ見えてないのは不安になってきて(笑)、

また別の建物の階段が目について・・・・・(苦笑)、

と、その繰り返し状態。

 

こうなるのは、限られた人生時間を考えると、相当キツイんじゃないか?と思ったりするんですね。

 

 

先日、あることを一所懸命やってる若者がいて、話しをしてる途中に、興味深くなって、ついつい、

「なんでそんなことやってんの?」

と聞いたら、

「将来、安定するからと◯◯が言ってたから。」と答えてくれたのですが、

それを聞いた途端、

「なんだ、そんなつまらんことの為に、君は今日を生きて、今日を必死に努力して、その命をわざわざ使ってるんか?アホらしい。お前の尊い価値はそんな程度なんかい?つまんねぇなぁ。」

と思わず本音を言ってしまって(苦笑)、その相手にドン引きされました(苦笑)。

 

ドン引きされるのは慣れているから、まぁ、いいとして(苦笑)、

 

問題なのは、はたと、

「ほんで、株式上場までして、わざわざ辞めたはいいけど、辞めてこの5年、あんたは一体何やってきたの?」

と、その言葉をまんま自分に当てはめたとして、それに対して、

「俺は、これこれこういうことをやってきたんだぜ。」

と得意満面で答えた時に、もう一人の俺は、俺に何て言うんだろう?と思ったということなのでした(苦笑)。

 

いや、やってきたんですよ、これでも(笑)。

自分で言うのも何だけど、結構、必死でちゃんと頑張ってきた自負はそれなりにあるんですよ(苦笑)。

もちろん、グダグダなのも100倍くらいあるんだろうけど(苦笑)。

 

だって、ホントに無職になって、ゼロから、この先どうなるかなんて分からないところにきて、

これはちょっと高みに行き過ぎかなぁ、と思える目標とかビジョンは適当ながらも作ったわけで、

さらに「一切こちらからは売り込みしない」というのを、言うからには自分がまずは実現しようと、

それなりにやってきたわけなんですよ、これでも(苦笑)。

 

ただ、楽しかったわけです。

本当に楽しくさせて頂けて、充実もしていたわけです。

 

そして、ここに来て、気づいたら、もう一人の私が、私に言うのです。

「なんだ、そんなつまらんことの為に、君は今日を生きて、今日を必死に努力して、その命をわざわざ使ってるんか?アホらしい。お前の尊い価値はそんな程度なんかい?つまんねぇなぁ。」

と(笑)。

あの年端もいかぬ若者に偉そうに言ったのと、紛れもなく同じ言葉を言うわけです(苦笑)。

 

恐らく、私は、誰あろう自分自身を見くびっていたのではないか?とさいなまされるに至るのでした(苦笑)。

 

 

二階に行くと、大好きで楽しいことがあると思っていたものは、

二階に見えていたのだろうけど、多分、階段の途中だったのでしょうね。

 

あとは、

あると嬉しくて楽しくて大好きで、手に入ったらチ◯ポコ振り回して大喜びすると思ってた本当のものは、

まだ上にちゃんとあって、そこめがけて上に登っているのだ、

正しく楽しく登っているのだ、としっかり気づけるかどうかですね。

 

いや、ホントにそうであることを、半ばヒヤヒヤしながら、しっかり考えています。

だって、登る階段違ってたら、一回降りなきゃダメじゃんね(笑)。

正直、それはちょっとヤだもんなぁ(笑)。

 

というわけで、こんなことをご丁寧にブログに書いてしまう自分にプレッシャーかけながら、

でも、いいや、俺は実は結構スゲェ奴なんだから、とも、自画自賛しながら(笑)、

見えそうで見えない、二階にある、楽しくて嬉しくて大好きな何かへ向かって、

楽しみながら登っている途中の今です(笑)。

 

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