私の全ては憧れた方々の原形で成り立っています

 生半可なマネは空回りするだけ(苦笑)

お洋服屋さんのウィンドウいっぱいのデッカい写真があったので、

そっくりそのままの格好をしようとしましたが、

この直後にバランスを崩して派手に転倒して、見ている人に失笑されてました(苦笑)。

 

原形はコレです(笑)。

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この、脳天気アクティブな雰囲気で、脚をヒョイっと上げているのが、

52歳になるオッサンにはハードルが高く(笑)、

バランスを取りながら脚を上げて、さらに、首を上げて、腕を逆に持っていくというのは、かなりの難易度で(苦笑)、

ちょっとやそっとのやってみたい程度の気持ちでは、かなり難しいことが、やりながらにして分かったわけで(苦笑)、

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ならばと、思い切ってやってみたら、ひっくり返ったということです(苦笑)。

ちょっとやればできるだろうとナメてかかるとこうなるんだなぁ、と反省しました(苦笑)。

 

 「パクる」にはパクる対象となる原形がある

様々な場面で、あぁなりたい、こうなりたい、と憧れたり、目標となる人は、私にもいて、

ある項目毎、例えば、話し方とか、講演の進め方とか、文章とか、会議での発言や聴き方とか、

それぞれのステージで、効果や実績を上げる為に、私は、多くの人をパクってきました。

よって、今の私の、話し方も、文章も、立ち振る舞いも、所作も、それぞれのパート毎に、原形となる憧れの人は、実はいます。

 

 「パクる」のはまず観察から

「パクる」というのは、

例えば、カッコいいと思った映画俳優さんがいて、どうしてこの人の仕草や所作はこんなにカッコよく見えるんだろう?と思えた映画は、何百回と穴の空くほど観たり、

ビジネスセミナーなのに、どうして、この人のセミナーはこんなに楽しくて行きたくなるのだろう?という方がいたら、月に2回、年間24回、とにかくセミナーに参加して、最初から最後まで全部、喋る内容からちょっとした仕草までノートに書き続けたりとか、

このビジネス書は、どうしてこんなに読みやすくて理解しやすいのだろう?と思ったら、マインドマップのように書き直しながら読み進めるとか、

あと、あの人の話し方はどうして伝わるのだろう?という人のモノマネを、一人で鏡の前でやってみて、テンポやパターンが心地良いか、自分には無理があるか、とか(笑)、

すごく面倒くさいようなことを、とにかく当てずっぽうながら、何度も何度も一人でやり続けました。

(過去形にしてるけど、今でも一人でアホなことはやっている(苦笑))

 

まず、自分の心や感情が動いた対象を信じて、

その対象はなぜそう感じさせてくれるのか?を、

とにもかくにも観察しまくって、分解してマネしまくる、というやり方です。

 

 「パクる」方法は自分が一番やり易いやり方で

そんな方法は、やり方が分からない私が無手勝流にやっていただけで、

言ってみれば、子供の頃にウルトラマンになりたくてスペシュウム光線を練習したり、

仮面ライダーに変身したくて変身ポーズをやり続けていた延長戦みたいなもんでしょうね(苦笑)。

 

だから決して効率的な方法としてはおススメはできません(苦笑)。

 

ただ、いつの頃からか、最初は面倒なだけで、何の発見もない状態から、

やり進めていくうちに、現象や言葉や文言ではない、その人ならではの、ある法則性やパターンが見えてくることがあって、

これが見えてくると、この後が相当に楽になるというか、やり易くなることに気づきました。

 

 「パクる」とは対象の何を理解するということか?

言葉や文字といった現象をそっくりそのまま真似ることではなくて、

例えば、

「あぁ、そうか、この人の話が分かりやすいのは、難しい経営論や本質論と、日常の出来事や映画や芸能と組み合わせているんだな。」

「それを連続させていくシナリオの構成力が卓越してるんだな。」

「リアルな体験・経験に基づく仕草や所作だから説得力があるんだな。」

「自分が出ているように見えて、実は周りを主役にして気持ち良くする配慮をしているんだな。」

「一番最初に、一番最後に言いたいことを決めておいてから、全く関係のなさそうな話から始めて、最後に繋がるようにしているんだな。」

といったような、考え方とか、モノの見方とか、◯ ◯ 観という、目に見えない本質部分に気づけた時が、

自分に置き換えがきくわけで、それが自分なりに理解できて、やっと自分なりのやり方で実験できるといった感じです。

 

この、自分がスゴイなと思っている対象となる人の、考え方やパターンや法則性が見えてくることを、私は「パクる」と定義しています。

そして、その価値に気づいたのは、自分であって、ということは、

それはもう「パクり」ではなく、もしかしたらオリジナルになっているのかもしれないという見方もできると思うのです。

 

 「パクる」対象がいたらそれは幸せなことだと思う

私は、自分の発信をいかにもオリジナルに見えるように、魅せるように、という自我は持ち続けていますが、

私の全ては「パクり」の組み合わせに過ぎません。

まぁ、以前書いた長文ブログにも似たようなことを書いてますけど。

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本当に自分にしかない「独自の価値」はあるのか?

 

そういう意味では、心震えたり、感動したり、焦がれるほどにドキドキしたり、憧れて憧れてどうしようもなかったり、

そういう人がいてくれたら、とても幸せなことだと思うし、

そういう人に少しづつでも近づこうとすることを、成長していくという言い方もできるかもしれませんね。

 

こんなことまで書く気なんて、まるでなかったけど(苦笑)、

人が一所懸命構築してきたであろうその瞬間を、あまりに簡単にマネして面白いことをやってみようとした自分が、

あまりに稚拙に思えて(苦笑)、ここは自分で自分をまとめておかないとヤベェぞ、と長文になってしまったのでした(苦笑)。

 

久しぶりに、パフォーマンスではなくて、ガチに転げ回って、恥ずかしかったです(苦笑)。

別の何かが見えるまでパクれ。
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