中小零細個人企業は個人の情報を出すべきである

20150119-1

中小零細企業にとって、製品価値や、価格の安さだけでは、どうにもこうにも圧倒的になれない中で、何をやったらいいか?と言えば、私はまごうことなく「個人の情報を出せ」と考えています。

どの企業も会社も、関わる製品価値や技術を上げたり、少しでも顧客が買いやすくなるような適性価格を考えています。

私はそれをやる意味がないと言っているのではなくて、プロなら、自分の商品や価格や知識・技術に対して努力したり考えるのは当たり前だろうし、自分と同じように、まともなとこならどこでもやっていることだから、ということは、それが普通なんでしょ、ということです。

「こんなに頑張っているのだから」とか「毎日努力しているのに」と言う人はいますが、自分の頑張りや努力を自覚したところで、どこも誰もが頑張っているのだから、普通に頑張っている程度では、文字通り普通であって、それは他者から見て圧倒的になる要素にはならない、と思っているのです。

それに対して、個人というのは、そもそもが唯一無二の存在なわけで、最もてっとり早く圧倒的になる可能性を秘めていると思っています。

情報を出す側にとって、心理的に最もリスクと感じるのは、それを他者からどう思われるか? ということです。

ただ、他者からどう思われるか、というのは、情報を出した後の問題です。

どんなに良かれと思って情報を出しても、それは相手にとっては何の意味もなかったり、反応がまるでないこともあるし、批判を受けたり、あげく嫌われることもある。

逆に自分では大したことないと思っていることが、相手にとって貴重であったり、喜ばれることもあります。

「価値観が多様化している時代」というのは、だからチャンスだと、私は本気で思っているのです。

自分から出す情報の全てを、どう受け止められるか、あるいは評価されるか、というのは、100%相手に委ねられます。

いかなる情報も、それをどう受け止めるかというのは、自分ではなく相手です。

私も、人からの情報発信を見て、勝手に好いたり嫌ったり、有益だと思ったり無意味だと思ったり、もっと関わりたいと思ったり、うっとおしい、こいつはアホか?と思ったりします。

でも、それは、情報の発信手が本当にそうなのではなくて、私が勝手にそう思っている、すなわち、私の個人的な価値観であって、その人そのものではありません。

それだけのことと言えば、それだけのことであり、そして、その全ては情報を出した後のことです。

情報を出さない限りは、相手から、好きになられたり嫌われたり、共感されたり批判されたり、そのステージに上がることすらできないということです。

面白いことに、私から見て、どんなにバカだな、とか、こいつ大丈夫か?、こんな奴とは会いたくないな、一緒にやれないな、と思っている人でも、その人はその人なりのコミュニティがあるし、現実としてビジネスができているということです。

私が一方的に避けたいと思っているだけで、その人が世の中全てから避けられているわけではないということです。

人は誰もが、人からバカにされたくない、という気持ちがあるとは思いますが、そもそも、そんなに頭が良くてスゴイ人なんでしょうかね?

一つの情報に対して、バカにする人もいれば、共感する人もいる。

それが社会だと思うし、人間だと思うのです。

大手企業になっていまうと、市場シェアを取らざるをえませんから、そりゃ、誰からも愛されようとしたり、支持されたり、そういうことを考えなきゃいけない側面は出てくるんでしょうけど、(個人的には、そもそもそんなこと可能なんかよ?とも思うし、だから無個性に徹して、製品価値や価格の安さのみしか出せるものがなくなってくるんだろうと思ってるけど)中小零細や個人企業は、顧客数そのものは大手より全然少なくていいわけでしょ?

だったら個人を出していいし、個性を出していいのです。

出した方がいいんじゃなくて、出していいんです。

共感する人と、嫌う人がいていいんです。

そもそも、それが当たり前ですから。

出した情報に対して、何らかの反応があって、変えた方が良いと思えば変えればいいし、変えたくなければ変えなくて、そういう繰り返しをしながら、社会の中の自分が段々とできあがっていくものだと思うのです。

それでも個人の情報を出したくなければ、それはそれで自由でしょうが、私が最もリスキーだと思うのは「情報を出さない人」という情報が、周りの人に認識されてしまうことです。

生きているだけで、それは情報だということを認識しておかねばなりません。

情報を出さない人に対しては、何を依頼していいのかも、何をさせてもらっていいのかも、さっぱり分かりません。

一生一人で暮らしていける程安泰な基盤があるなら構いませんが、そうではないほとんどの人は、一定の年齢から一定の年齢まで、働き続けることが前提になるわけで、それは、現実的には、誰かにお金を払って何かをしてもらって、誰かに何かをしてお金をもらって、生活し続けるということですから、何かをしてもらうにしても、何かをする側としても、多かれ少なかれ、誰が、何かを、いくらかで売ったり買ったりするということと同義です。

ここでいう「何か」と「いくら」に優位性がないとしたら、後は「誰が」しかないと考えるのは当たり前だと思うのです。

この「誰が」という情報を「出すリスク」を取るか、「情報を出さないリスク」を取るか、どちらか2択しかないとしたら、私は情報を出すリスクを選択して当然だと思っているということです。

顔と名前だけは知っていて長年に渡ってお付き合いしてても、何を考えている奴なのか、どんな奴なのか、どんな価値観で生きているのか仕事しているのか、さっぱり分からない奴との打ち合わせ程、面倒なことはありません。

自分を支持してくれる人と、自分を嫌う人といたら、自分を支持してくれる人と一緒に仕事すればいいのだから、情報を出すことによって、先に分かるとしたら、それだけでも有効な情報といえるとも言えます。

先日、お仕事をさせて頂いている方々に、なぜ坪井を支持してくれているのか?を無理矢理でもいいから教えて、と聞いてみました。

出てきた全ての答えは、私の商品ともいえるコンサル能力や知識・技術、あるいは契約価格ではなく、私の人間性に関わることだけでした(笑)。

私が時間をかけて考えたり、努力したり、磨こうとしている技術や知識ではなく、私の人となりだけが理由でした(笑)。

それを皆さんが認識しているのは、紛れもなく、私から出している日常や通常の個人の情報からでした(苦笑)。

リアルに会った時の他愛ない会話や、ソーシャルの発信、表情や髪型、立ち振る舞いや物言い、ファッション・・・・、全ては私個人からの発信です。

そういうもんだと思うのです。

「個人の情報」は、改めて、商品・価格と同じ、あるいはそれ以上に考えて発信すべきと感じた時間でした。

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